2009年10月22日木曜日

路線バスの幅寄せ

通勤復路
奈良交通と京阪バスの路線バスに幅寄せされていやな思いをする
減速してやり過ごすしかできない
路線バスの運転手は自転車が嫌いなんやろうかと思ってみたりする
通勤往路
走行距離 25.73
走行時間 1:05:11
平均時速 23.6km/h
最高時速 40.6km/h
積算距離 8304.0km

走行距離 27.36km
走行時間 1:11:35
平均時速 22.9km/h
最高時速 39.2km/h
積算距離 8331.4km

2009年10月21日水曜日

自転車通勤再開

3ヶ月ぶりに自転車で職場に向かう。
足の痛みもまだ残っていて自制したこともあるけれどやはり体力は低下している。
ゆっくり回復していくしかない。
どこまで回復できるのか自分の肉体に興味がある。


サイクルコンピュータの記録
往路
走行距離 25.74
走行時間 1:06:01
平均時速 23.3
最高時速 39.8
積算距離 8251.0

復路
走行距離 27.25
走行時間 1:12:23
平均時速 22.5
最高時速 37.8
積算距離 8278.3

2009年10月18日日曜日

鞍馬・貴船ポタリング

午前中、親父の入院している京大病院に見舞いに行く。山科から蹴上を超えて三条通りから東大路を熊野神社まで。腹水がたまったり足が腫れたりで薬で発熱を抑えているという。それでもタバコは吸いたいらしく病院の施設内は禁煙になっているので東大路通りの歩道まで車椅子で出てタバコを吸っていた。
「またくるわ」といって駐輪場に戻る。
あてもなく東大路通りを北上。修学院から白川通りに合流して北上。鞍馬行きの道路標識に導かれてゆるい坂を上っていく。

鞍馬寺はこの22日に行われる火祭りの準備が進んでいた。


民家の軒先に据えられた巨大な松明。



鞍馬寺の参道に据えられた自転車の3倍はあると思われる巨大な松明。



鞍馬寺を越えてさらに鞍馬温泉を越えた辺りから坂道の傾斜はきつくなってくる。どこまで進めばいいのかわからなかったのと右足の痛みでダンシングができないため坂道を登る気力が折れてしまって引き返す。

引き返して貴船に向かう分岐を再度登坂。ハイキングの観光客多数とすれ違いながら貴船神社の鳥居前。夏の風物詩の川床は取り払われて、紅葉にはまだ早く、それでも多くの観光客が行き来する貴船神社周辺。自転車の写真を撮ろうとしていたところに女性2人の観光客から記念写真のシャッターを押してくれと頼まれる。次々と写真を撮る人の順番を待ってシャッターチャンスをうかがう。
岩倉辺りでインナーから内側に外れたチェーンをかけなおしたときに汚れた右手の指先の黒いオイルがついたままの手で預かったデジカメのシャッターを切る。

その後、鳥居と自転車を携帯カメラに納める。



登りの坂道でかいた汗は下りの斜面ですぐに乾いて北山の涼しい風が体を包む。

京都産業大学前から上加茂神社前を通って堀川通りを真っ直ぐ南下。竹田で24号線に移動して観月橋から帰宅。


走行距離 69.23km
平均時速 19.3km/h
最高時速 43.9km/h
積算距離 8225.3km
走行時間 3:34:58



2009年10月12日月曜日

嵐山CR3連荘

おととい、昨日に続いて嵐山CR
横大路から嵐山、嵐山から御幸橋、御幸橋から横大路
横大路から新堀川を堀川御池、堀川通りを東に向かって河原町御池、河原町御池を北に向かって丸太町御池。
TAKENAKAというショップを覗く。
店内清掃のためバイクを表の路地に並べ始めたのをカメラに納める。


こんないい天気の日はみんな走りに行って店に来る人は少ないから今日は掃除をしようとしてたところとのこと。
寺町通りを南下して御池通り。柳馬場から南へ。
シルベスタ京都店を覗いてみる。ここでも2009年モデルのセールをしていた。
烏丸通りへ抜けて四条烏丸、四条堀川から南へ進み新堀川をどんどん南下。
24号線に抜けて観月橋から外環状線。
ショップでリアのブレーキとリアのディレーラーの調整をしてもらう。

走行距離 88.70km
平均時速 20.7km/h
最高時速 40.0km/h
積算距離 8156.0km
走行時間 4:16:03

2009年10月10日土曜日

全荷重解禁、流れた流れ橋、虹

秋晴れのよい天気。
午前中に病院の診察。レントゲンで大腿骨の撮影。
全荷重の許可が下りる。
右足の筋力は極端に弱っているので右足で体重を支えることがうまくできず歩き方はぎこちない。階段の上り下りもうまくできない。
午後から嵐山CRを走る。嵐山まで向かう。向かい風が強くスピードは上がらない。
嵐山で少し休憩してCRを引き返す。今度は追い風と桂川に沿ったゆるい下りなので往きよりも少し楽。
御幸橋を過ぎて、流れ橋。先日の台風18号の雨での増水のため流れ橋(上津屋橋)の橋桁が流されていた。


流れ橋から御幸橋まで折り返し、淀、中書島を通ってくる。
中書島の酒蔵辺りで東の空に虹が架かっていたので、三十石舟と酒蔵越しに携帯のカメラを向けてみる。



走行距離 69.13km
走行時間 3:18:20
平均時速 20.9km/h
最高時速 37.7km/h
積算距離 7999.9km

2009年10月4日日曜日

湖北ツーリング

LEGONの由起さんがよびかけのツーリング、脚の悪いけが人が参加して迷惑にならないかどうか迷っていたけれど、脱落したときはごめんなさいと開き直る覚悟で参加することに決めて、名神高速を栗東から米原まで走って道の駅「母の郷」まで到着。ほとんどの方がそろっていて遅ればせながら参加させていただくことに。
米原から長浜、余呉湖、折り返して長浜の黒壁ソフト、米原まで約70kmの道のりを駆け抜けていく参加メンバーに遅れをとりながらなんとか最後まで完走。
湖北の雄大な景色、近江米の刈り取られた田んぼとまだこれから刈り取りを待つい稲穂が垂れる田んぼとのパッチワークにいどろられた景色の中を走る。コスモスやハンドルバーに停まったトンボや、余呉湖を周回する道端の子狐の出迎えを受けながら晴天の秋の空の下、12台のロードバイクが失踪する。
コース終盤の長浜に向かう道で集団の先頭と引っ張ろうといちびったのがあだになって足が売り切れてしまって逆に皆さんを待たせてしまう結果になってしまう。
脱落しそうになる自分をその後ろでフォローしていただいた。ありがたいことでした。
長浜の城下町の通りには多くの観光客がごった返していた。黒壁の炭入りソフトクリームをいただく。あまくておいしかった。
ダンシングならぬ立ち漕ぎができないのでなかなかスピードが追いつかず参加者の皆さんには迷惑をかけてしまったが2ヶ月ぶりの本格的なツーリングはとても楽しいものになった。
骨折の治癒と、体力・極力・精神力の回復でまたサイクリングを楽しみたいと思う。

走行距離 68.24km
平均時速 26.2km/h
最高時速 45.8km/h
積算距離 7918.0km
走行時間 2:35:54

2009年10月3日土曜日

リハビリ走

開店時間の10時に30分ほど遅れてショップに到着。
修理の完了した自転車と対面。
チェーンディグリーザーとチェーンオイルをあわせて購入して車の後部座席に自転車を積み込む。
戻ってさっそくチェーンとスプロケット、クランクギアを洗ってみる。
着替えて、リハビリランに出発。
観月橋から中書島の伏見港を抜けて横大路を直進して嵐山CRに出て北へ嵐山を目指す。右足に過度の負担がかからないようスピードは20kmから25kmでゆっくり流す。
嵐山から、桂川の左岸を南へ。五条から東へ向かう。市内を横切り川端通りから北へ向かって丸太町通り。丸太町通りを東に天王町から北へ向かって実家に立ち寄る。休憩。食事。
今出川通りを円町まで。円町から丸太町通りを西へ。清滝口から嵐山に南下。渡月橋を渡って再びサイクリングロード。御幸橋を過ぎて流れ橋のところで折り返す。
国道1号線まで戻り、1号線を北に横大路まで。横大路から東に向かって伏見港、観月橋、六地蔵と外環状線を経由して帰宅。
骨折した右足には強い負荷はかけられないのでスピードは上がらない。ちょっとした坂道(土手の登り)でも上るのはまだ辛い。クロスバイクにもどんどん抜かされた。

走行距離 95.72km
平均速度 20.0km/h
最高速度 39.6km/h
走行時間 4:46:54

2009年10月2日金曜日

修理完了の連絡

夕方、ショップより修理完了の連絡あり。
明日、行きますと返答。

2009年9月29日火曜日

退院

夕方、退院。
ナースステーションに挨拶にいったけれども勤務交代直後で夜勤体勢が始まったばかりの時間帯になっていまい、担当してもらった看護師の多くが不在だった。
それでも看護助手の皆さんも含めてエレベーターの前まで見送ってもらった。
怪我をした直後の最も大変だった時に世話になった急性期病棟にも挨拶に行ったが同じく看護師さんは少なくかった。たまたま師長には会えたのでみなさんによろしくと伝える。松葉杖での歩行は雨に濡れた路面とかでは滑るので注意してくださいねと最後の忠告を受ける。
帰り際、ショップに寄ってみる。注文した部品が明日届くので、届き次第作業を開始して、完了したら連絡します、とのこと。
バリアフリーでない自宅は病院での生活より難儀が多い。それもリハビリ。

2009年9月28日月曜日

片松葉

2ヶ月と少しの入院生活もいよいよ最終日前日。
あしたの夕方、退院する事になった。

リハビリが終わってから療法士さんが、「今日から方松葉でOKと許可がでました」と伝えに来てくれた。

しばらくは週に1回ほど通院しながらの療養。
自転車にも少しは乗れそうで楽しみ。
ただし強い負荷のかかる坂道はまだ登ってはいけないといわれている。それから、行った先で自転車を降りて、松葉杖無しで歩くことが出来ないので、休憩のときも自転車から離れないで休憩できるコースを走らなければならない。
自転車に松葉杖をくくりつけて走るもの不様なので、遠出は全荷重が解除になってからの事になりそう。それまでは近場で往き帰りがループするコースで慣らしていかないといけない。
木津川CRの平坦なコースでの再デビューとなるか。
自転車の修理進捗はまだ不明。

2009年9月22日火曜日

修理見積。

洗顔から病室に戻ると
「水戸黄門と暴れん坊将軍を一緒の時間にやったらあかんわなあ、グハハハハ」
と言いながら車椅子で部屋から出ようとしているNさんとすれ違って始まった一日。

午前中にリハビリ。
いつものようにマッサージと右足の筋トレ。その後、松葉杖で歩行するときの右足の荷重確認。
エアロバイク30分。
療法士がメニューをセットしてくれて、ペダル回転スタート。療法士は他の患者のリハビリを始めるため病室に呼びに行くためリハビリセンターを離れる。
エアロバイクの表示板に、いつもは表示されない「COOL」の文字が表示されている。5分経ったところで大きな音でブザーが鳴る。トレーニング終了のブザー音。
どうやら設定が間違っていたらしい。クールダウンからスタートして終了してしまったらしい。
設定しなおそうとボタンを押してみるがどうもうまく設定できない。
仕方ないので、時間だけ30分に設定して後は適当なまま再スタート。
いつも表示される「WARM」の表示もされず、時間だけは経過していく。負荷も0.5kgのまま変わらない。ケイデンス90辺りで回し続ける。
負荷が軽いせいか心拍も120前後で安定している。
最後の5分間はケイデンス110辺りで回して、心拍が140を超える程度。
しっかり汗をかいて、5分間50回転ほどのゆっくり下ペダリングでダウン。
そのあとすぐに入浴。
食事。
午後から、外に出てみる。
空模様が少し心配だったが松葉杖をついて西に向かう。
30分ほど歩いてJRの駅前。
散髪屋の看板が目に入ったので散発をする事に。
短めに刈ってくださいというよくわからないオーダーをする。
「耳を出して刈上げまではしない程度でよろしいか?」
と理容師が訊くので
「それでいいです」
と答える。
仕上げも
「何か付けますか?」
「いいえ、いらないです」
「どんなわけ方をしましょうか?」
「適当でいいです」
ドライヤーで一応のセットはしてくれるけれども一風吹けばその努力は吹き飛ぶ。

本屋に寄って立ち読み。松葉杖を両脇に挟んでいるので平台の本は取りにくい。何冊かの本をぱらぱらとめくってみる。
雑誌コーナーに移動して自転車雑誌の表紙に目をやる。
2010年のモデルが発表されているらしい。
そのうちの1冊を棚から引き出したところで携帯のベルが鳴る。
本を戻して書店を出てショルダーポーチから携帯を取り出し、通話ボタンを押したところで受信音は消えてしまった。
病室は携帯電話の通話が禁止なのでマナーモードにしていたのを解除していなかった。
かかってきたのは電話番号だけが表示されている登録されていない固定電話。
留守電が入っているので聞いてみる。
金曜日に自転車を持ち込んだショップからのものだった。
修理の見積もりの件で電話した。また、後ほど電話します。
とのメッセージ。
すぐにその場で折り返し電話することも出来たが、先方から電話すると言っていることと、「フレームは使い物になりません」という悲劇的な内容の宣告なら聞くのを先延ばしにしたいという思いもあり病院に戻る事にする。
30分ほどかけて病室に戻る。
30分経過しても電話はかかってこない。
まもなく食事の時間も始まるのでこちらからかけてみる事にする。
取次ぎの店員にしばらく待たされて返ってきた答えはブレーキレバー、リアブレーキワイヤ、バーテープの交換、フロントホイールのブレの調整の金額。
どうやらフレームは無事だったようだ。
連休明けに部品を注文する事になるので出来上がりは10月の最初の週末辺りになるという。期日についてはいつも余裕をもって言ってるようなので9月末くらいには出来上がるのではないかと思う。

今日・明日は鈴鹿でイベント。参加される皆さんの活躍を期待。

2009年9月18日金曜日

キヨセサイクル

外出届をだして10時に病院を出る。
病院が運行している駅までのバスに乗り、地下鉄に乗り継いで、地下鉄の駅から家まで松葉杖をついてたどり着く。

2ヶ月弱ぶりに、自転車と対面。

ハンドルの左側のバーテープが破れて、ハンドルバーのステンレスにも傷がついている。左のブレーキバーはゆがんで動かなくなっており、交換が必要と思われる。左のブレーキバーにつながっているリアのデュアルピボットキャリパーブレーキ本体がホイールにくっついて動かなくなっている。後輪を外そうとしてもフレーキシューがひっかかって外れないので、アーレンキーでブレーキシューを緩めて取り出してから後輪のホイールを外す。サドルも縫い目のところに破れが少し入っている。足がぶつかって破れたものと思われる。
フレームには傷は見当たらない。

前輪と後輪とフレームを車の後部座席に積み込んで、購入したショップに持ち込む。
事故をしたことが恥ずかしくてちょっと躊躇したが、蔑むような気配は微塵も感じなかった。

事故の概略を説明し、修理が可能かどうか、点検を依頼。フレームの外観に異常は無くても歪みなどがあると使えない可能性もあるとの説明を受ける。
点検と修理見積もりを依頼して店を出る。何点かの部品の交換は仕方ないとしてもフレームさえ無事であってくれるよう祈る気持ち。

そのまま、車で実家に向かう。両親が昼食をおえたところだった。
まだ昼を食べてないというと母親がパック寿司を買ってきてくれたのでそれを食べた。
父親は今日も午前中車を走らせていたようす。
声にも力がなく衰えているのが判る。
この23日で廃業届けを出すということ。
「そうしい」と言う。
ぼくが15歳、中学3年生の受験のときに借金をして1階がガレージになっている家に建て替えて35年。
工事中、祖父母の家に寄寓する事になったが、受験生のぼくは家のすぐ近くにあった京都大学専門の私設の学生寮に便宜を図って入れてもらい中学校に通っていた。篤志家の医師が設置していた3畳ほどの学生寮の部屋にはベッドと机があるだけで、トイレも電話も共同のものだったが、いまやワンルームマンションなどに押されてか、その学生寮は今はなくなっている。
あれから35年続けていた個人タクシーの営業の廃業。
最後に使っていた営業用のプロパン燃料の車輌は京都の観光や送迎に47万キロを走ったそうだ。
もう使わないからと、エンジンオイルの缶とタイヤワックスのスプレーを持って帰れとトランクに入れてくれた。

午後3時に病院に戻ってリハビリを受けるつもりだったが、間に合いそうに無いので、帰る時間が遅れることとリハビリをキャンセルすることを伝える。

実家を出て、子供の頃、父親に自転車を買ってもらった店の前に車を止めて店の中をのぞいてみた。
平安神宮の北側、丸太町通りの北側に面する「キヨセサイクル」。
全面ガラス張りの店先は当時と同じだと思うが、記憶にあるより店が小さく感じたのは、子供だったぼくが小さかったかもしれない。当時はたくさんの種類の自転車が並んでいるワンダーランドのように思えていた。家のすぐ近くにあった、油まみれで商用車を修理している薄暗い自転車店とは全く違う明るい印象が爽やかだった。
サイクリングクラブの活動も盛んで、琵琶湖1周とかのイベントもあったように記憶してるが、まだ小さかったぼくは、その当時流行っていたセミドロップハンドルのついた子供用の自転車しかあてがってもらえず、サイクリングに参加するのはもう少し大きくなってからなと言われたことがある。

見覚えのある店主のオヤジさんが、白髪になって横じまのシャツを着て奥の作業場でママチャリを組み立てるのに忙しそうだったのと、松葉杖を突いた客が自転車店に来てもひやかしとしか思われないだろうというのとで店の中に入ることもなく、しばらく、ペニー・ファージングの置かれた店の外からガラス越しに店内を見ていた。

クロモリフレームの自転車を買うならこういう店で最適のフレームをあつらえて組んでもらうのもいいかもしれない。また、寄ってみようと思う。

車を自宅に戻す途中、パック寿司では少なかったために腹が減ったのと、久しぶりに外に出た刺激も手伝ってラーメン屋に寄り、ラーメンと餃子を注文した。
大盛ではなく並みのラーメンを注文したのだけれど、感じていた空腹よりも量が多かったため満腹になった。

自宅に車を置いて、病院に戻って来たのが午後4時。

看護師さんに戻ってきた報告と、理学療法士にキャンセルしたお詫び。
5時半の夕食までにはまだ少し時間があるけれどおなかは満腹。

ベッドに横になると居眠りをしてしまい、目が覚めたときには食事のはじまる時間は過ぎていて、患者の中では一番最後に食べ始める事になる。ラーメンと餃子がまだおなかに残っているため、食べるのも遅く、看護師さんが他の患者の食器を引き上げてしまう中最後まで残って冷めたミートボールの八宝菜を詰め込んだ。

2009年9月17日木曜日

仮骨

朝食前に地下のコンビニの横にある自動販売機に新聞を買いに行く。
病室に戻って見出しだけをざっと眺める。
鳩山内閣の組閣関連の記事で紙面は埋っている。
スポーツ欄。
阪神が逆転勝ちしている。

朝食が終わって、部屋に戻る。
歯磨きを終えたNさんも部屋に戻ってくる。
「きのうの試合、阪神勝ってましたね」
「おうおう、そやそや、逆転勝ちしよったらしい」
「よかったですね」
「おうおう、ゆんべは負けとったから腹が立って途中でテレビ消したんや」
「そうでしたか」
「さすが阪神、やるときはやりよるわ、グハハハハ」
昨夜はボロカスだった阪神タイガースも名誉回復。毀誉褒貶が激しい。

エアロバイクに行く前に執刀医のT先生が病室に来た。
11日に撮影したレントゲン写真をA4の紙に印刷したものと、ノートパソコンを持ってきてくれる。印刷したものではよくわからないが、パソコンの画像をズームアップしていくと、折れた部分の亀裂はまだつながっているわけではないけれど、その周囲にぼんやりとした影が出来てきているらしい。そういわれてみればそうもしれないという程度の影ではある。



「仮骨ができてきてます」
「かこつ?」
「ええ、仮の骨と書きます。仮骨ができてそれからだんだんともとの骨がつながってきます」
「そうですか」
「順調ですよ」
そういってもらった。
退院の日程についても相談。
9月末に退院して、その後は通院しながらリハビリということでよいでしょう、という結論。

木曜日は風呂の日なので、風呂の前にエアロバイク。
1.5kgのペダル負荷で30分。
エアロバイクに付属の心拍計のセンサーを耳たぶにつける。
ケイデンス70rpmくらいで回していたが20分経過した時点で心拍が150を超えてブザーがリハビリセンターに響き渡る。
耳たぶのセンサーを外してペダルを回し続ける。
担当の理学療法士は別の患者の指導をしている。
30分経過して汗だくになってリハビリセンターを退出。
病院の周りを少し散歩。
秋の風が心地よく汗を乾かしてくれる。といって体が冷えるほどのことでもない。


散歩から戻ると昼食。
昼食の後、午後からのリハビリが始まるまで昼寝。

午後からは軽くマッサージと腹筋の筋トレ。
松葉杖歩行での右足の荷重確認。


リハビリ訓練が終わってから、病院の東側の道路を散歩。

2009年9月16日水曜日

毎週水曜日は総回診

午前中、会社に送る資料の作成。

午後からリハビリ。
右足の筋トレメニュー。
松葉杖での歩行訓練。1/2荷重の感覚もかなり慣れてきた。踏み込むときの衝撃が30kgをオーバーするのも理学療法士に注意される。
病棟内を移動するときは荷重をあまり気にしてないので1/2を超えていると思われる。
それほど、神経質になる必要もないということかもしれない。
エアロバイク30分。
ペダル抵抗を1.5kgに増やしてみる。
ケイデンス80で140ワットの出力。
ペダル抵抗1kgのときよりたくさんの汗が出る。
自前のハートレイトモニタはセンサーの電池が切れたようで、昨日からMAX90くらいしか表示しなくなったのできょうは付けていない。
エアロバイクのケイデンスも150を超えるとうるさいので付けずにペダルを回したので今日の心拍数の状況は不明。

リハビリの後、着替えて病院の外を散歩。
2台のロードバイクが大津から蹴上方面に向かって坂道を下っていくのを見送る。
フリーホイールの音が聞こえたときにはもう追い越されて車体やジャージがどんなものだったかもよくわからない。

夕方、整形外科部長の総回診。
病室の中を松葉杖を使って少し歩いてみる。
その調子でリハビリがんばってください。の一言で回診は終了。

回診が終わってから、向かいのベッドの父親と同い年の患者が話しかけてくる。
おとといも聞かれた病状のことと、年齢のことを答える。
話題は突然、阪神巨人戦に
「阪神まけよったわ」
「ああそうですか。残念でしたね。3位にはなれそうでしょうかね」
「あかんあかん、金本が4番を打ってるようではあきまへん」
「へえ、そうなんですか」
「ホームランの数が他のチームの4番に比べて極端に少ない」
「そうなんですか、ベテランやから扱いにくいんでしょうか」
「そうらしい、4番とちごたら辞めるというてる」
「むずかしいんですね」
「今年はあかんわ、グハハハハ」
と笑ってカーテンを引いた。
まもなく規則正しい鼾が聞こえてきた。

2009年9月13日日曜日

雨上がりの日曜日

昨日の雨とは打って変わっていい天気の日曜日。

同室の高齢の患者の家族が見舞いに来る。
「おじいちゃん、誕生日、おめでとう」
どうやら、今日が誕生日らしい。
聞くともなしに聞いていると、昭和8年生まれらしい。
父親と同じ生まれ年である。
見舞いの孫は、
「これから焼肉食べに行くねん、おじいちゃん」
と両親ともども去っていった。

昨日に続いて20日締めの資料の前倒し作業を進める。

週の初めに自転車通勤を勧めた男性看護師が検温と血圧測定。
自転車購入をまだ逡巡している。自分が購入したショップを教える。自転車通勤となればその看護師の通勤経路にショップはあることになるので何かと都合も良かろうと、スポーツバイクの専門店ではないけれど、いろいろ親切に相談に乗ってくれると思うと伝えた。

夕方3時からリハビリ。

平行棒を使ってと松葉杖を使っての引き続き1/2荷重の訓練。
エアロバイク30分。
エアロバイクにはCATEYE EC-1600と表示がある。
サイコンやライトだけではなくフィットネス商品も作っているというのを初めて知った。




リハビリから戻ると昭和8年生まれの患者が入り口のほうに向いてベッドに座っている。
目があって、軽く会釈をする。
「今日がお誕生日だそうですねえ、おめでとうございます」
「いやいや、もう年でね」
「昭和8年のお生まれなんですね。うちの親父と同じです。酉歳ですね」
「そうそう、酉年、おとうさんは?」
「ええ、去年、膵臓がんが見つかりましてね、予後3ヶ月といわれたんですけど、1年半もってます」
「そうかそうか、膵臓はむずかしいらしいからねえ、ご両親は大切にせんとあかんよ」
「はい、まあ、そんな時期に、こんな怪我をしてしまいまして」
「よけいに大事にしてあげなさいね、おかあさんは」
「はい元気にしております。11年生まれです」
「ほう、うちの家内といっしょやね、で、おたくはおいくつ?」
「50です」
「ほう、うちの長男も同じや、35年生まれ?」
「いえ、34年です」
「そうかそうか、いまは事務所を引き継がでやっとる。うちの親父はね103歳まで生きたんよ」
「103ですか、長寿だったんですね」
「ああ、元気やった、ご両親を大切にせなあかんよ、両親を大切にせえへんやつは入れへんね」
「はい、大切にします」
『入れへん』というのは採用しないということらしく、おそらく長男に引き継いだ事務所のことだと思われるがどんな種類の事務所経営なのかは不詳。

5時半に夕食を終えて、資料の点検。少し手直しをして、メールの添付ファイルにて送信。

病棟の外に出て半そででは少し肌寒く感じる屋外の空気に触れてきた。昨日の雨が季節を進めたらしい。

2009年9月12日土曜日

オークション?王選手のユニフォーム

シルバーウェークで金融機関が休みになるため20日締めの資料作成を急がなければならないが、あまり仕事がはかどらない。

リハビリ午前の部は10時からエアロバイク。30分。
戻ってきたら風呂。
風呂上りに昼食。
昼食の後、エアロバイクと風呂との心地よい疲労と満腹とはいかかいながら食事で満足した胃袋のおかげで寝入ってしう。
気がついたら、理学療法士が3時からのリハビリに迎えに来て目をさました。
1/2荷重の練習をヘルスメータを使って繰り返す。
目盛りを見ながら右足にかける体重を調整して歩く練習。
まだ目盛りを見ずに歩くことはできてない。
リハビリが終わってもどってきて、午前中の続きの作業を少し進める。

病室でパソコンに向かっていると、同室のもう一人のかなり年配の患者が声をかけてきた。
「株でもやったはりますのか?」
「いえ、会社の仕事で、、、使ってます」
「あそう、わしは昔、巨人の王選手のユニフォームを80万円で売ったことがあるわ」
「へえぇ、そうですか、王選手のユニフォームをねえ、80万、すごいですねえ」
「そや、王選手のロッカーから盗み出して、売り飛ばしたんや、グハハハハ」
脈略のよくわからない会話を少し交わす。

しばらくして夕食の時刻。

食事の後も少し作業を続ける。

今日は新しい患者の転入はなく、今夜は4人部屋に2人収容の病室。

2009年9月11日金曜日

1/2荷重解禁

今日は4人部屋の一人が午前中に退院。午後に新しく転室してくる人一人で入れ替わり。
明日は残りの2人が退院で、昨日から見ると自分以外は総入れ替えということになる。

レントゲン写真撮る。だいぶ骨もできてきているというリハビリ担当医の話。写真は見せてもらってない。

車椅子が取り上げられた。洗面台や風呂に行くときの荷物を持つ工夫をしないが、苦労してもできるだけ歩くほうが回復には良いと言われている。

3時からリハビリ。直前に会社から電話が入るが、リハビリの後回しにする。
マッサージと右足の筋トレ、松葉杖の歩行訓練。
エアロバイク30分。90回転/分で90ワットの出力。心拍数は140~150。
最後の1分間だけ120~130回転 /分で回してみる。特に異常は感じなかった。心拍数は165まで上がった。
エアロバイクを回している間、理学療法士はカンファレンスに参加。
エアロバイク30分経過と同時に戻ってきて、「1/2荷重の確認がとれました」とのこと。
ヘルスメーターを2つ並べて、それぞれに足を載せて、目盛りが均等になるように立つ。同じ荷重をかけていても右足の負担が強く感じるのはそれだけ立つための筋力が弱っているせいらしい。
明日からは松葉杖で右足1/2荷重での歩行訓練が始まる。

2009年9月10日木曜日

せめてシャワーを

今日のリハビリは夕方から。エアロバイクはちょっと短く20分。

リハビリが終わってから風呂に入る予定が、重度な介助の必要な入院患者の入浴と時間がぶつかり、風呂を使うことができなくなる。

洗面所で髪の毛を洗って、洗面器のお湯で濡らしたタオルで体を拭きとる。
エアロバイクでかいた汗はそれなりにふき取れてすっきりした。

これからは、エアロバイクは午前中に乗って、早い時間の風呂にも入れるように療法士さんにお願いした。
マッサージや筋トレはそれほど汗をかくわけではない。風呂に入ってからでもできるので、どの時間でもかまわないが、エアロバイクだけは終わってから風呂に入りたい。
風呂の無い日は、洗面所でシャンプーとタオル。
本当は毎日シャワーだけでもいいから使いたいところ。

2009年9月9日水曜日

看護師に自転車通勤を勧める

昨夜、消灯時間が過ぎてから、執刀医の先生が病室まで突然やって来た。当直だったのかもしれない。
怪我の回復具合について少し話をする。9月末で退院してもいいだろうという話。ただし、通院しながら右足の荷重を少しずつ増やしていく指導は続ける必要があるということで、元通りの日常に戻るにはもう少し時間がかかりそう。

今日は午後から30分サイクルマシンを漕ぐ。同じペースで漕いでても、3日前より心拍数は10ほど少なくなっている。心肺能力が少し改善したのかなと喜ぶ。

リハビリは楽しみながらできるようになってきている。体重のかけ方さえ間違わなければ痛みはもうほとんどない。

朝の検温と血圧測定は男性の看護師が担当だった。
自転車に詳しいそうですね、と話しかけられる。
どうやら、ナースステーションでも自転車好きが話題になってるもよう。
男性看護師は、いま、通勤は電車で1時間、または車でなら20分ということらしい。
場所を聞いてみると確かに電車だと遠回りをしないといけない場所になっている。
それで、自転車通勤を考えているけれども、その距離は自転車で通うのは可能かどうか、通うとしたらどんな自転車がいいのか、費用はどれくらいかかるのか、というふうな相談を受けた。
その距離なら、十分自転車通勤はできるので、ぜひどうぞ、と勧めておいた。

2009年9月8日火曜日

平穏な一日

東側の窓のカーテンを開けて寝たので、朝日とその熱気で目が覚める。

リハビリは午前中。
30分、サイクルマシンを漕いぐ。
汗だくになる。
松葉杖。階段の昇り降りの練習。

火木土が風呂の日で、今日は2時から風呂に入る。
サイクルマシンの汗を流してすっきり。

午後から会社に送る資料の作成。

景色が見えないで、同じ広さなの部屋なのに少し狭く感る。

2009年9月7日月曜日

転室

午後からのリハビリはまずサイクルマシンに30分間。

Cateyeのハートレートモニタをつけて漕いだ。心拍は140から150くらい。サイクルマシンの表示ではだいたい90W前後の出力表示。ケイデンス表示は80~90。息が荒くなることはなかった。

ちらちらと手首にはめたハートレイトモニタを見るので、理学療法士が興味を持って覗き込んできた。ワイヤレスで計測していることにずいぶん驚いていた。サイクルマシンの心拍計は耳たぶにつけるセンサーから有線で表示部につながっているけれど、150を超えるとワーニングのブザーがうるさいので使用せず。

汗びっしょりになった後、松葉杖で歩く練習。昨日と同じコースを歩いて、その後、階段の昇り降りの練習。登るときは左足から、降りるときは折れた右足から踏み出さないといけない。しっかり覚えて、階段の前では慌てずに、どちらの足から踏み出すのかを確認してから、初めの一歩を踏み出してくださいねと理学療法士からアドバイスを受ける。

病室に戻ってきたら、午前中に予告されていた部屋の移動。着替えやタオル等の荷物はベッドに載せてベッドごと移動。いままで居た部屋はナースステーションに近い場所だったが、病状が重く、見守りや介助が必要な患者さんが転棟してくるということなので、その部屋を明け渡して、ナースステーションからは一番遠い東側の部屋に移る事になった。

移動先でも窓際のベッドだというので、西日が当たらなくなってラッキーと思ってたが、東側はすぐ隣が住宅街になっているので、窓ガラスは擦りガラスで、外の景色は見えなくなってしまった。

西日が当たっても、景色の広がる、開放感のある部屋のほうが良かったかなと思う。

東側と西側では担当する看護師のチームの違うらしく、新しく担当になる看護師が挨拶に来てくれた。

新しい部屋のメンバーはみな若くて、自立歩行できる人ばかり。あまり、愛想はないけれど、気を使う必要のなさそう。

2009年9月6日日曜日

サイクルマシンで25分

日曜日もリハビリ。
週末は一時帰宅したり、日曜日はリハビリは休みたいという患者さんも多いらしく、日曜日の療法士は普段の半分の人数の出勤になるらしい。
平日のリハビリは午後の遅い時間から始まるのが常のところ、日曜日の今日は午前10時ごろからリハビリ訓練が始まる。
リハビリ室に行くと他の患者は誰もいず、貸しきり状態。
マッサージと足の運動、腹筋を鍛える運動をしてから、松葉杖で歩く練習。
建物の外に出て、駐車場から病院の正面玄関に向かう新しいルートを歩く。
暑かった。
リハビリ室に戻って、サイクルマシン。15分のタイマー設定で始める。15分漕いでかなり汗が出たが、人が少ないので、もう少しやりますかと療法士が言ってくれるのを幸いに、あと10分追加設定し、負荷も少しかけたペダルを回した。
合計25分のサイクルマシンで、上半身は汗びっしょり。本物の自転車と違って風がないから余計に汗が噴出す。
耳たぶに付けた心拍計センサーは、上限設定された150回/分を超えると広いリハビリ室全体に響き渡るような大きな音のブザーが鳴る。
後半の10分は負荷をかけたせいで、すぐに心拍が150を超えてしまうので、途中で耳たぶからセンサーを外した。

汗びっしょりになった25分で今日のメニューは終了。「水分補給をしっかりしてくださいね」と療法士に言われて戻って病室に戻ってきた。

部屋に戻って、上半身裸になって汗を拭く。

すぐに昼食の時間になり、昼食を済ませて、しばらく休憩したあと、松葉杖で外に出てみる。強い日差しの中、病院の周りを40分ほど散歩する。気温も高く、歩くだけの運動でも、またまた、汗が噴き出す。

病室に戻ってまた上半身裸になって汗を拭き、そのままベッドに横になる。
居眠りして、気がついたら4時になっていた。

久しぶりにたっぷりと汗をかいた一日になった。

2009年9月5日土曜日

牽制

午前中は新聞をほぼ通読。

午後からリハビリ、今日はサイクルマシンは10分だけ。
ちょっと物足りない。
理学療法士に牽制された。
「この施設はトレーニング用の施設ではなく、リハビリ用の施設なのであんまり長時間使ってもらうことができないんですよ」。

10分でもケイデンス100のペースで漕いだのでそこそこ汗は出た。

その後お風呂。

夕食。

土曜日、窓から見える車の混雑する道路を見てるとこんないい天気の日に病室にこもっていなければならないのが恨めしい。

2009年9月4日金曜日

眠い!

午前中は新聞読んで、会社からのメールでの問合せに返答する資料を作って送るのとで過ぎた。

昼ごはんを食べたあと、西向きの窓の日差しが強くなってきたのでカーテンを閉めてベッドで横になってたら居眠りしてしまった。

3時からのリハビリは、サイクルマシン、15分間に伸びた。少し抵抗負荷もつけてもらって15分漕いだら、汗びっしょりになった。理学療法士が途中で病室に行って、汗を拭くためのタオルを取ってきてくれた。
90回転を意識して回していると、理学療法士は早いですねと驚いている。ケイデンス90が一番効率的といわれてるらしいですと答える。「ケイデンス」という単語は理学療法の世界では歩数のことを言うそうだ。
その後、松葉杖の練習。
今日から、病棟内では松葉杖を使っても良いということになって、松葉杖の貸し出しを受けた。

6時前に夕食。
松葉杖でテーブルのところまで行こうとして気がついた。松葉杖で歩くときは両手がふさがっているので手で荷物がもてない。今まではプラスティックのトレーに箸とマグカップとスプーンを載せて、それを膝の上に置いてテーブルまで移動していた。
とりあえず左手で松葉杖を持ちながら、箸箱とマグカップを指の間に挟んでテーブルまでたどり着いた。
食後、箸とマグカップを洗いに行くのに、流しが混んでいたので一旦病室に戻って、何か工夫が無いかと思ってたところ、コンビニの買い物袋が目に付いたのでそれに箸とマグカップを入れて手首にぶら下げて洗い場に行く事にした。

人間歩くときって手ぶらで歩く場面は少ないかなあ、でも普段は両手が使えるからあまりそんなこと意識しないけど、でも、コンビニの袋を使うのを思いついたのは我ながらよっしゃと思っているうちにまた眠くなって居眠りしてた。

昼寝しても、夕食後居眠りをしても、夜寝られなくなるわけでもなく、このところとっても眠たい。
体が骨を作るのに睡眠を要求してるのかなと勝手に想像してる。ちがうかな?
寝る子は育つというし、、、

松葉杖より車椅子のほうがスピードは速いし、荷物もぶら下げるところがたくさんあるので車椅子が楽ではあるけれど、リハビリの意味もあるので明日からは、よほどのことが無い限り松葉杖で移動する事にする。
でもまだ、階段の上り下りの練習はしてないので、階段は使わないでくれと理学療法士に言われてる。

2009年9月2日水曜日

14歳のアンバランス

朝食の後、例の中学生に怪我をした経緯を聞いてみた。
バイクに乗っていて事故をしたというので、モトクロスか何かの競技中の事故かと聞いてみたらそうではなくて公道での事故だったらしい。やんちゃをしてたってことらしい。
大腿骨の骨が皮膚を突き破って外に飛び出すほどの怪我をしたそうで、全身血だらけで救急搬送されたらしい。
そういうやんちゃな面と、泣き虫の面とが、アンバランスに感じるけれど、そういうアンバランスな年齢なのかなとも思うし、自分の14歳の頃はもっと端的に生意気だったような気もするし。

そのあと中学生は今日は外出許可をとっていたらしく、迎えに来たちょっとこわそうなお父さんと出かけていった。
夜の9時になっても戻ってこないので、今日は外泊らしい。

今日はリハビリは午前中。
右足にも体重をかけて松葉杖で歩く練習と、サイクルマシン10分。
もう少し乗っていたかったけれど、理学療法士のストップがかかったので仕方なく終了。そういうコントロールのあるほうが良いのかとも思う。


昼食の後、午後、少しうとうとする。
日差しが射してきたのでカーテンを閉めたその後も続いて寝てしまい、気がついたら午後4時になってしまっていた。
特に寝不足だったというわけでもないけれど、熟睡してしまった。

夜、寝れるかどうか心配。

2009年9月1日火曜日

ちょっとだけサイクルマシン

昨日理学療法士にお願いをしたサイクルマシンに乗せてもらうことができた。
午後からのリハビリは2時からと4時からの2回に。
右足にかける体重を20kgにする練習を昨日に続いて何度も繰り返した。
だいぶ感覚がつかめてきた気がする。
4時からもヘルスメーターを使った荷重調整の練習。
そのあと10分間だけサイクルマシンに乗せてもらう。サドルを一番高い位置に設定してもらい、一番負荷の軽いべダルに調整してもらって10分間漕ぎ続ける。右足と左足のバランスが崩れてギクシャクするかと思ってたが、そんなこともなくスムーズにペダルを回転させることができた。
10分間でうっすら汗が滲んでくる程度の軽い運動。
久しぶりにペダルを漕いだのが嬉しくて、そういう表情をしてたらしく、理学療法士に「たのしそうですねえ」と冷やかされた。

昼前にコルセットを腰に巻きつけたお年寄りが部屋にやってきた。
これで入居者は3人。

昨日転室してきた中学生は午前中にリハビリに行って、それから帰ってきたらずるずると鼻水をすすっているので、風邪でもひいたのかと思っているところに、体格の大きなちょっと怖そうなお父さんが見舞いにやってきた。
泣いている息子に対して「どうしたんや、何で泣いてるんや」と何度も聞くが、聞けば聞くほど鼻水をすすってただけの泣き方が、ヒーヒーと息を吸い込む嗚咽に変わっていくので、もしや、昨日のゲーム機のことで注意したのが原因やろか、そういう理由をお父さんに告げ口したら、そのこわもてのお父さんの怒りの矛先がこちらに向かってきて、罵声を浴びせられ鉄拳制裁を加えられることになったらどうしようと恐怖の妄想が渦巻く中で、息を潜めて親子の対話を聞いていた。
どうやら、急性期病棟から回復期リハビリ病棟に転棟してきたことが原因らしいことが聞こえてくる。急性期病棟の看護婦や今までのリハビリ担当の理学療法士が優しかったのに比べて、回復期リハビリ病棟の看護師や新しい担当の理学療法士は不親切な感じがするらしく、急性期病棟に戻りたいという、そういう理由で泣いていたということらしく、こわもてのお父さんから「ここに来るのはもうすぐ退院できるからなんやで」と慰められていた。
罵声を浴びせられたり、鉄拳制裁を受ける恐怖の妄想から解放された。
いままで息を潜めて親子の会話を聞いていて、部屋から出るに出られなかったのが、ようやくトイレに行くことができた。ふー、助かった。

そんな月初めの一日。

2009年8月31日月曜日

予断は誤認?

病院の地下にあるコンビニの横に設置してある新聞の自動販売機で日経新聞を購入。ほとんどが30日投票の衆議院総選挙の結果についての記事。2時間ほどかけて広告と候補者名簿詳細以外は全ての記事に目を通した。

金曜日に撮影したレントゲン写真を執刀医のT先生が病室まで持ってきてくれた。まだ骨の癒合は進んでいないということ。折れた断面が水平なので、計画通り昨日から実施している1/3荷重の訓練を進めることになったといのこと。


月末だったせいか、一人は退院、一人は別の病棟に移動、そして一人は急性期病棟から移動してきた14歳、中学生。
少年の刈り上げた後頭部にはさらに剃り込んだラインの模様が入っている。

昼過ぎに移動してきた中学生は荷物が落ち着いて看護師が居なくなるや否やゲーム機をピコピコやり始める。昼間なので大目に見てた。
午後からのリハビリに出かける時には少年は昼寝をしいた。

リハビリは昨日に続き1/3荷重がどの程度のものなのか、感覚をつかむためにヘルスメーターを並べて、体重を掛ける練習。
ヘルスメーターを見ながらであれば調整できるが、見てないと荷重は少なすぎる。
過大に荷重をかけるより少な目のほうが安全なのでそれでよいと理学療法士は言ってくれる。少しずつ慣れていくしかないようだ。
20kgの荷重というのはそれほど重いのもではない。
これなら負荷の軽いペダリングならできそう。
リハビリセンターに設置してあるサイクルマシンを使ってみたいと理学療法士に申し出てみる。
それには主治医の許可が要るようですぐに回答はもらえなかった。
ハートレートモニタは病室に持ってきたので、サイクルマシンでLSDでもできたらなと思う。

リハビリから戻ってきたら病室では少年がピコピコとゲーム。
その後、夕食。
日が暮れてくる。
夕食が終わった後もまたピコピコ。
ここは初めにびしっといっとかんとと思って
「君、イヤホンつけてやってくれるか」
決まり悪そうな笑顔でこっくりと首を縦に振る。
案外、素直な対応。
刈り上げた髪の毛の後頭部にラインの模様が入っていることで持った予断は外れか。

しばらくしてから
「大野君、もう晩御飯は食べたんか?」
「うん、もう食べた」
「これ食べるか?」
ナビスコのクラッカーの包みを1つ渡す。
「いいの?」
「ああ」
「ありがと」
という会話を交わした。

今日は4人部屋に収容されているのは2人。
明日にはもう一人入ってくるという看護師さんの話。

2009年8月30日日曜日

1/3荷重開始

今日からリハビリは新しいステップに入る。
昨日のカンファレンスで右足に1/3の荷重をかけてもいいという判断が出たらしい。

リハビリ室の平行手すりのところにヘルスメーターを2つ置いて左足が40kg、右足が20kgになるように立つ練習。これは重心を左足に置いて両足で立つとそれくらいの荷重配分になるのでそれほど難しくはない。
次に、平行手すりに沿って、ヘルスメーターを交互においてもらって、その上を歩いていく練習。
左足が着地しているときはいいが、歩くと左足が地面から離れて右足が地面(ヘルスメーター)に着いているタイミングがある。
そのときに右足を踏んでいるヘルスメーターが20kgを超えないようにするには手すりにつかまっている両腕に体重を分散しなくてはならない。このバランスがなかなか難しい。
何度か、平行手すりを往復して感覚がつかめるように練習したが、まだ身についていない感じでラストの往復のときでも5kgの過少から25kg過多までばらつきがあった。
右足への荷重があまりオーバーしないよう慎重になるあまり、腕に分散する荷重が多すぎたり、もう少しかけてもいいかと思うと、思いのほか多すぎたりと安定しない。
担当の理学療法士も自分は怪我をしたことが無いのでうまくアドバイスできないんですと、自力で体得するしかないらしい。

2009年8月28日金曜日

蒲鉾状路面と松葉杖

午前中に理学療法士によるリハビリ指導、その後、レントゲン撮影。
リハビリ指導では、松葉杖の歩行訓練で駐車場を取り囲む道路まで出て歩いてみる。普通に歩いていたは気にならなかった道路の傾きが、松葉杖を突いて歩いてみるとよくわかる。
道路は中央が盛り上がり、路側が低くなっていて、極端にいえばかまぼこ状の構造になっている。路側の付近を歩いてみると、普通に歩いているときよりも松葉杖で歩くほうがその傾斜がよく体感できる。歩いているときは無意識に両足がバランスをとってあまり傾きを感じないようにしているらしい。
2週間に1回のレントゲン撮影。朝のバイタル検査のときに看護師が、「今日はレントゲンがあるのでリハビリ終わったら放射線科の受付に行ってください、もう一人で行けるでしょ」といわれた。リハビリが終わってから放射線科の受付で病棟と氏名を告げると「入り口の前で待っていてください」といわれる。
しばらく待って、撮影スタジオへ。
ベッドの上に寝転んで、ポーズを付けるのは女性の放射線技師。マスクをしているのでどんな表情なのかよくわからない。カメラマンは別室で「はーい、じっとしてくださいね」という声だけの男性放射線技師。3ポーズの撮影して、レントゲン写真モデルのお仕事は完了。
そうこうしているうちに昼食。
昼食後、ベッドに寝転んでいると居眠りをしてしまう。
目が覚めたら午後2時。
隣のベッドの入院患者がナースコールで看護師を呼んでいる。なにかあわててる様子。看護師が来ると、居眠りしてて起きたら朝と間違えてインシュリン14単位を注射したと言っている。ところが、その訴えが看護師には理解できないらしい。
「朝起きたら打ったんやね、それでいいんですよ」「ちがうねん、起きたら朝やし打ったんや」「ええ、だから朝でいいんですよ」としばらく患者と看護師の頓珍漢な応酬が続いた。
入院生活も1ヶ月を過ぎた。
もっとたくさん本でも読めるかと思っていたけれど、そうでもなく、毎日が過ぎていく。
明日は鈴鹿のイベント。来年は参加できるようになりたい。

2009年8月26日水曜日

期日前投票

リハビリセンターの横の会議室が、入院患者向けの期日前投票の投票所として準備された。
入院患者で衆議院総選挙の投票日当日に退院や外出をして投票所にいけない患者の為のもの。回復期リハビリ病棟に転棟する前の急性期病棟の病室で鎮痛剤を処方されてほとんど動けない状態だったときに病棟師長が申し込み用紙を持ってきてくれてそれに記入したので、期日前投票を病院内でできる事になった。
投票所となった会議室の入り口のテーブルには、何種類かの選挙公報が並べてあった。入院患者はいろんな選挙区から集まってくるわけで、その分の選挙区ごとの広報が用意されたらしい。
投票用紙に記入して、二重封筒に入れ、内封筒を封緘し、立会人に渡す。立会人は確認して外封筒を封緘し手渡してくれる。手元に戻った封筒3枚を投票箱に投入。車椅子に座ったままでは投票箱の投入口は少し届きにくかった。
入院患者はたいてい暇なので、多分病院内の投票率は普通の投票所より高いと思われる。
少し時間をずらして空いた頃を見計らって行ったので待つことなく滞りなく権利を行使した。

2009年8月23日日曜日

処暑



病室の窓から眺める朝の空。空も雲も高くある。秋の気配。赤いジャージの自転車が大津・琵琶湖方面に向かう坂道を登っていくのを見た。今日はサイクリング日和。
昨夜、就寝前に服用したアレロック錠のおかげか、今朝は蕁麻疹がまったく出ていない。

2009年8月22日土曜日

蕁麻疹に『ミントールレスタミン軟膏』と『アレロック錠』

朝食の後、作業療法士のS先生が作ってくれた上半身の自主トレメニューを行う。メニューで示された内容は回数の強弱をつけたり、痛みのある左肩に負担のかかる動作は回数を減らしたり、メニューには無い腹筋を加えたりして実施。少し汗が滲む。
看護師さんがバイタル検査に病室に来る。血圧が運動した後のため少し高い。今日の午後から、皮膚科の診察があるので時間がきたら呼びに来ますとのこと。
しばらくすると理学療法士のO先生が病室まで来てくれた。女性の理学療法士。車椅子でリハビリ室に向かう。リハビリ室のベッドがいっぱいなので先に平行手すりでかかと上げとスクワット、松葉杖でガレージを1周して戻ってから、マッサージと下半身の運動。
部屋に戻ると、すぐに入浴の時間ですと呼び出される。自主トレとリハビリ指導で出た汗を流す。風呂から戻ると昼食。
昼食後、うとうとしていると、男性看護師が皮膚科に行きますと呼びに来てくれた。車椅子を押してもらって診察室まで移動。前の患者の診察が終わるのを少し待って診察室に入る。皮膚科の先生も女性。
膨疹は少し引いていてかゆみも少ない。今はほとんど症状が無いのですがと説明し、少し赤くなっているところを見てもらう。
「蕁麻疹ですね、塗り薬と飲み薬を出しておきますので、様子を見ましょう。来週の火曜日にもう一度経過を見てみましょう」と診たては3分もかからずに終了。礼を言って自力で病室に戻る。
夕食後、看護士さんが病室の状況を確認しに来る。そのときに「皮膚科で処方してもらった薬はまだ貰ってませんよね」「はい、まだ貰ってません」という会話。
しばらくして、『ミントールレスタミン軟膏』という塗り薬と『アレロック錠』という内服剤を持ってきてくれた。ネットで調べてみると、どちらもステロイド剤では無いようなので使ってみる事にする。

2009年8月21日金曜日

20日締

朝のバイタル検査(体温と血圧)のときに他に変わりは無いですかという看護師さんの質問にいままで少し気にしていた軽い蕁麻疹のことを話してみる。
視力にしても蕁麻疹にしてもせっかく病院に居るのだからこの際見てもらっておこうという気になっている。症状を看護師に見てもらうと、「そしたら皮膚科の予約を取っておきましょう」という話になった。
会社からのメールで20日締めのデータが送られてきた。午前中はそのデータを基に計算をして結果を送り返す作業を行なう。午後からは、9月初めのイベントに使用する文書を作成してそれをメールに添付して送りかえす。
左肩が痛いので、作業療法士が作ってくれた上半身の自主トレメニューは今日は休みにする。
そうこうしている内に午後3時を回る。
火曜日から担当してくれている理学療法士のI先生が呼びに来る。
マッサージとベッドに寝たままの下肢の運動、並行手すりでのスクワットとかかと上げ。その後松葉杖で歩行訓練。きょうも病棟の外に出てガレージを1周する。
担当の理学療法士が明日から1週間リフレッシュ休暇を取るので、交代の理学療法士に担当して舞う事になります、とのこと。
誰になるか、リハビリ指導の時間はいつになるかは今日の夕方までに決まるので、決まったらお知らせしますという話だった。
5時半の夕食が済ませて病室に戻ったところに担当理学療法士のI先生がやってきて明日からの交代の先生と時間帯を知らせてくれた。
もちろん普通の生活よりも強度も精神的緊張も緩いのだけれど入院してても結構忙しく一日が過ぎる。

2009年8月20日木曜日

松葉杖でガレージ1周

午後の予定の作業療法士のリハビリ指導が午前中に変更。予定していた別の人の機嫌がよくないので後回しにしたということらしい。
上半身の運動。メニューを3セット。訓練の方法を絵に書いてもらう。明日からはこれを見て自主トレーニングを行ってくださいということ。
終了後、入浴タイム。
そのあと、昼食、と午前のスケージュールが続く。
午後3時ごろから理学療法士の指導。マッサージ、運動、松葉杖。松葉杖で外に出て、病院の外来ガレージを1周。暑さと運動で汗が出る。この後に風呂に入りたいけれども、風呂場のスケジュールが決まっているので叶わない。
会社に送るメールの作成。
招待してもらったMIXIの登録で夕食の時間を迎える。

2009年8月19日水曜日

退院の見通しはまだ遠い

午前中、理学療法士のリハビリ指導。
午後、眼科の外来に連れて行ってもらう。眼鏡の処方箋を出してもらう。度数は今の眼鏡でもそそこでているとのことで度数は変わらず。右目にも乱視を入れると見やすくなるので、左右ともに乱視矯正のレンズの処方箋を受け取る。
眼科から戻ると作業療法士のリハビリ指導。上半身の体幹の筋肉が衰えないようバランスをとりながら腕を中心とした運動の指導を受ける。うっすら汗が滲む。
訓練の後、退院までのスケジュールの概要を聞かされる。10月末に右足全荷重の状態で退院との話。ただし、骨癒合の状況によっては前後する場合もあるとのこと。そんなに長くかかるのかというのが実感。
そんなに入院していたら社会復帰できるのだろうかと不安がよぎる。
夕食後、整形外科の部長回診。「足、どれくらい曲がりますか」と質問を受けたので実際に足を曲げてみる。「いいですね。その調子でがんばってください」と15秒ほどで部長回診は終了。

2009年8月18日火曜日

浴槽

昼食が済ませてから夕方予定のリハビリまで時間があったのでベッドの上で腹筋運動をする。50回。
そのあと、ベッドに横になったら眠ってしまった。
今からリハビリをしますと、新しい担当の理学療法士が呼びに来てくれて目を覚ます。
リハビリ室で膝の曲がる角度や、足の太さを測ってもらう。膝上の太さは左右で1センチ右のほうが細い。意外な事にふくらはぎのほうが2センチの差が出ている。立っているだけでもふくらはぎの筋肉というのはよく使うそうで、免荷状態が3週間続く間にそれだけ筋肉が落ちてきているとの事。
マッサージ、少しの負荷をかけた運動、松葉杖の歩行訓練とメニューをこなす。
部屋に戻ると、ちょうど入浴の時間。看護師が呼びに来てくれる。
病棟フロアの真ん中にある風呂場に車椅子で向かう。脱衣場で全裸になり、風呂用の車椅子に移動。介助してくれるヘルパーさんが押して風呂場の中に運んでくれる。
シャンプー、石鹸で全身を洗う。洗い終えたところでヘルパーさんが風呂場用の車椅子を浴槽の横に着けてくれる。右足を着かないように浴槽に移動して体を沈める。全身を湯船につけるのは24日ぶり。
作業療法士の指導は今日も休み。

2009年8月17日月曜日

松葉杖でプチ外出

週明け。
会社からのメールがたくさん届く。連休明け、月末前の確認事項。健康保険の保険証切替方法の確認。車両保険の使用について。などなど。
その返事のメールを書いているうちに午前中の時間はみるみる過ぎていく。
11時。土曜日に、お世話になりましたありがとうございましたと過去形の挨拶をしたばかりの理学療法士のM先生が病室に登場。新しく担当になった理学療法士と作業療法士は今日まで休みのため代行でリハビリ指導を行ってくれるとの事。
リハビリセンターに向かい、右足のストレッチ。足を上下に持ち上げる運動はなんとかこなせるものの、左右に開いたり、横向けに寝転んで右足を上げる運動は痛みが伴って苦しい。左片足のスクワットとかかと立ちを30回2セットのあと、松葉杖での歩行訓練。
リハビリ室を2周回ったところで「外に出てみましょうか?」とM先生。松葉杖をついて建物の外に。暑い。建物の外に出て、しばらく壁伝いに歩く。壁際にベンチが並べられてある。
「すわりましょう」とM先生。
並んで腰掛ける。
自転車の話、ウェアの話。自転車の値段や独特のウェアやヘルメット姿には違和感を感じるという、ドロップハンドルの自転車は競輪専用に使うと思ってたという、M先生のママチャリ通勤経路でのほんのわずかな傾斜がきついという、そんな話。若くて美しいM先生の笑顔がまぶしい。しばらくそんな取り留めの無い話をして「さあ、もどりましょう」といわれて名残惜しく立ち上がって差し出された松葉杖に体を預ける。ベンチと駐車場の間に植え込まれた木立の木漏れ日が足元と杖の間できらきらと輝く。
昼食後もメールの返事を書く。添付ファイルを作成する。そうして時間が過ぎていった。
夕食後、担当の看護師から呼び止められる。あしたお風呂に入る日で、リハビリ病棟の風呂は初めてなので私も立ち会いますとのこと。看護師に裸を見られることにすっかり抵抗はなくなっている。
久しぶりの夕焼けを見ながら、メールの送信ボタンを押したのがまだ夕方の7時前。

2009年8月16日日曜日

リハビリ病棟2日目

日曜日。
回復期リハビリ病棟に転棟して2日目。
新しく担当となった理学療法士も作業療法士も休日との事で、今日のリハビリ訓練はお休み。
コンビニへの買出しと読書で一日を過ごす。
回復期リハビリ病棟といっても、回復治癒に向かう患者は少数であることがわかった。大半の患者は障害が固定して、車椅子や松葉杖での移動、体位を固定するコルセットを装着したままでの生活を病院から離れた日常生活でも支障なく行えるように訓練しているのが、回復期リハビリ病棟。
昼食の時に、食堂で向かい合わせになった患者に症状を尋ねられた。大腿骨の骨折とチタンのキュンチャー髄内釘手術をしたと答えると「そうか、ひにち薬やな」と返ってた。その患者は右手が動かないようでスプーンを左手に持ってたどたどしく食事を取っている。病状について質問する事はなんとなく気の毒で申し訳ないような気がしてはばかられた。
回復期リハビリといっても、回復して元に戻るというわけではなく、大半の患者は症状が固定して、その固定した症状を受け入れての生活を確立するための訓練の場としてあるらしいことがわかった。

2009年8月15日土曜日

転棟

終戦記念日。
朝食の後、引越しのため病院が用意してくれた紙袋に荷物を詰める。紙袋6枚ほどを要する。
執刀医のT先生の回診。昨日撮影したレントゲン写真を見せてもらう。まだ骨癒合はほとんど進んでおらず、術後4週目の診断までは荷重をかけてはいけないとのこと。


隣のベッドで人工腎臓と脊椎手術の治療をしていたT本さんが今日退院するらしい。これから透析にいって、戻ってくるのは2時を過ぎるので、そのときにはもう転棟して会えないからと挨拶を交わす。重病で完全回復の見込みのないT本さんの横でまた自転車に乗れることを願っていると看護師に話していたけれど、腰椎のブロックを2つ抜いて歩くことも儘ならず週3回の透析を続けなければならないT本さんは、そんな会話をどういう風に聞いていただろうと思って看護師にその話をするのはやめたけれど、看護学生はそういう遠慮をせずに今日も「早く自転車に乗れるようになるといいですね」と励ましてくれる。学生に悪意は無いけれど、回復の見込みのない患者の横でそういう話はどうかなと思うのは神経質すぎるか?
T本さんが透析に出かけた後、うつらうつら午前の時間を過ごす。
11時ごろに理学療法士のM先生が呼びに来る。病棟が変わると、担当の理学療法士も変わるとの事で今日が最後になりますとのこと。右足のストレッチ、右足の可動域を拡大するための運動、左足のバランススクワットと踵立ち、松葉杖の歩行訓練。じんわり汗が出る。
リハビリセンターから戻ってきたら、ちょうど正午、家内と娘が病室に居た。洗濯物の引換に来て、これから実家の父の見舞いに行き、夕方また戻るという。
正午から30分間の入浴の予約がしてあったので、シャワールームへ。看護学生の介助を受けながら脱衣。昨日に引き続き全身をシャンプーと石鹸で洗い流す。直前のリハビリの汗を流す。
シャワー室から戻ると看護学生が昼食を暖めなおしてくれると一旦配膳を引き上げる。その間、今日の担当看護師が引き出しに忘れ物が無いかのチェック。主任看護師が、風呂上りの擦過傷のシールに異常が無いかどうかを確認。少し痒かったので無意識に強くこすってしまったけれど特に異常なしとのこと。
昼食を済ませて、新聞を流し読み。
1時20分にリハビリセンターへ向かう。
作業療法士のY先生も今日で担当を外れますとあいさつ。握力グリップやダンベルやゴムチューブを使った連日の上半身の運動、片足立ちで床の筒にボールの乗せる運動をこなしている内に転棟予定時刻の2時を少し過ぎる。
病室に戻ると袋にまとめた荷物はワゴンの上に乗せられていた。靴をスリッパに履き替え、回復期リハビリ病棟へ移動。
今まで、救急搬送から手術、そして入浴ができるまでの3週間、献身的な看護をしてくれた急性期病棟の詰所でお礼の挨拶。先ほどシールの点検をしてくれた看護主任も部屋の奥から出てきてくれて激励してくれた。
車椅子でリハビリ病棟に移動。新しい部屋は4人部屋。西向きに大きく開いたガラス窓のゆったりと明るい部屋。その窓際のベッドに案内される。京都東インターから出てくる車の列、国道1号線や西大津バイパスに向かう車の列がよく見える。
新しい病棟の看護師にフロアの案内をしてもらう。トイレ、風呂、休憩所、看護師詰所。休憩所は食堂にもなるところで、これまでは病室のベッドのオーバーテーブルか、ベッドの横にあるラックの引き出しテーブルで食べていたけれども、自立訓練の意味もあって食堂で食事をすることになるということ。
紙袋の荷物を降ろし袋から着替えやタオル、そのほかの荷物をベッドの横の棚に移動。
夕方、新しく担当となる理学療法士と作業療法士が挨拶に来る。自立の度合いを見るためベッドから車椅子への移動、トイレでの動作を確認したいとのこと。
ベッドから車椅子への移動も、車椅子から便座への移動も普通よりも離れた場所から行っているらしく、「強引ですね」とからかわれる。
移動するときのベッドと車椅子の位置関係、車椅子と便座との位置関係で楽なポジションはこうですからと教えてもらう。
楽に移動できるポジションは確かにあまり意識をしたことは無かったけれど、強引と言われたのは意外だった。
事故の経緯や、これまでのリハビリ記録からも「強引な性格」という評価がついていたらしく、それを確認できましたという。意外だけれど、客観的にはそうなのかもしれない。「反省します」と素直に受入れた。
その二人ともが日曜日と月曜日は休みになるということなので、日曜日のリハビリは休み、月曜日のリハビリは今日、「お世話になりました」と挨拶した理学療法士が代理を勤めるとの事。
夕方、家内と娘が再来。洗濯物を置いていく。娘の修士論文のテーマを初めて聞く。
5時半、看護師が呼びに来てくれる。5時過ぎに配膳は済むので、明日からは自分で時間を見計らってきて欲しいとのこと。
8人掛けのテーブルのいちばん端が指定席となっていた。挨拶をして食事を始める。
食後、ベッドに戻り、コンビニで購入したチーズとヨーグルトと牛乳。
右足に荷重をかけられるようになるまで、全身の運動能力が衰えないようこの部屋を拠点にリハビリが続く。

2009年8月14日金曜日

3週間ぶりの風呂(シャワー)

朝食後、レントゲンの撮影。
手術痕の傷のガーゼが取れた。風呂(シャワー)解禁。
10時半から40分ほどストレッチ。折れた足のマッサージもしてくれた。弱い力でほぐしてくれるのが効いてる気がする。
昼食。病院の給食だけでは足りないので、地下のコンビニで購入したヨーグルトとチーズと牛乳をプラス。
午後から上半身の強化の筋トレリハビリ。ダンベルは1キロ重くなった。
夕方4時半から30分間の入浴タイム。看護学生と担当教官が介助してくれる。全裸になって風呂場に入り椅子に座るところまで見届けられる。
シャワーを浴びる。この3週間、頭はシャンプーで洗ってもらってはいたけれど、体は蒸しタオルで拭うだけしかできなかったので、なんとも爽快。少し温度高めのお湯で全身を洗い流す。傷口はあまりこすらないように注意しながら全身に石鹸を泡立てる。
全裸のまま脱衣場に導かれ、下着とパジャマを介助を受けながら着替える。
冷房のよく効いた廊下に出ると涼しさが気持ちよい。
3週間ぶりの入浴。
病室に戻り、擦過傷のシールを看護師に貼り替えてもらう。
張り替えてもらっている途中に師長がやってきて、あした、部屋を移動する事になったと部屋番号を書いたメモを持ってきた。
回復リハビリ病棟への移動とのこと。
窓際の明るい場所だといいのにと思う。

2009年8月13日木曜日

抜糸

昨日の予告通り執刀医のT先生が午前中に回診。
シールしてあった3箇所の手術の傷跡、合計12針の縫合糸を抜糸。
少しチクリと痛みはあったものの、無事糸が抜ける。
消毒をして、ガーゼで保護。明日には、このガーゼも取りましょう。ガーゼが取れたらお風呂も入れるでしょうとのこと。
午後からリハビリ。上半身の筋肉トレーニング。
終了後、夕方までウトウト。
夕方、リハビリ。ストレッチと折れたほうの足の筋トレ。松葉杖の歩行訓練。
夕食後、文芸春秋9月号掲載の「終の住処」を読み終える。

2009年8月12日水曜日

昼食をはさんでリハビリ

朝、会社からのメールを確認しているところに、執刀医のT先生が回診。手術をした傷口の様子を確認、明日にでも抜糸をしましょうかという話。
地下のコンビニでヨーグルトと牛乳と雑誌を購入。
戻ってくるとM理学療法士が探していた模様。夕方に行っていたストレッチや松葉杖での歩行訓練のリハビリが昼食前に実施するとの事で理学療法士のMさんが病室まで呼びにくる。リハビリ室では充分に確認できないということで、病室の仕切りのカーテンを閉め切って傷口の状態確認や筋肉の腫れ具合の触診。
リハビリ室に移動して、ストレッチ、左足の運動、右足での片足スクワットにかかと上げ、松葉杖での歩行訓練と定番メニューが続く。
正午過ぎ、リハビリ1ラウンド終了。
病室に戻ると昼食の配膳が済んでいた。
イヤホンでテレビを視聴しながら昼食。
午後1時半に再びリハビリ室に移動。
ダンベルやゴムチューブを使った腕の運動。小さなサッカーボールのデザインのボールを床に置いたプラスティックの筒に乗せる作業はスクワットと同じ効果。右足はまだ体重が掛けられないので左足を床について曲げないと、床においてある筒に巧くボールの乗せることが出来ない。ボールは重心が不安定で筒の上にうまく乗るにはボールのバランスが取れる場所におかなくてはならないが、これに時間がかかる。そのあいだ曲げたままの左足には結構な負荷がかかり続ける。
ボール4個を置き終わると、今度はボールのかわりにお手玉。お手玉は形が変わるので筒の上にも乗せやすい。短い時間で置くことができるので左足にかかる負荷も少ない。
午後からのリハビリはこれで終了。
その後はコンビニで買ってきた雑誌をぱらぱらと読んで時間を過ごす。

2009年8月11日火曜日

不在者投票の申し込み用紙を受け取る

昨日と同じようなスケジュールの一日。
午前中に看護学生のシャンプー。
病院食は物足りないので地下のコンビニでおにぎりを1個買ってきて昼食に追加。
午後から上肢の筋力トレーニングを中心としたリハビリ。
看護学生の体拭き。足の裏や甲も今日は別のバケツで念入りに洗ってくれた。
会社から来たメールの回答。送ってきたデータの処理とエクセルに落としたデータの返送。
夕方のリハビリはストレッチを念入りにしてもらって、軽くマッサージもしてもらった。
夕食、地震と雨と酒井法子の報道が繰り返されるテレビを見ているところに、携帯電話が新しい機種になって戻ってきた。第2世代が使えなくなるので今キャンペーン中とのこと。
7時過ぎに会社に電話連絡。いくつかの質問に答える。機密データの送付方法について打ち合わせ。休んだ期間を欠勤にして傷病手当を受けるつもりだったけれど、切りの良いところまで有給休暇を使ってもいいという許可ももらえた。
携帯電話は病室では使えない決まりになっていて、談話室まで行かないといけない。6人部屋に5人入っている。そのうちの1人は病室のベッドの上で傍若無人に携帯電話を使っているけれどマナーは守ってほしいものだ。
談話室から部屋に戻ってくる途中に看護士長が探していたらしく呼び止められる。
衆議院選挙の不在者投票を病院内で出来るのでその申し込み用紙を配布しながら説明に回っていたらしい。
廊下で説明を受け、申し込み用紙を受け取る。
投票日は8月の末なので、少なくともそれまでは病院の中に居る事になる見通しらしい。
退院の日程見込みはまだ立たず。
そのあと、携帯電話の取扱説明書を仰向けになって通読。
ポケベル方式の文字入力の機能がなくなっているみたい。
携帯メールの機能や入力方法が変わったので慣れるまでに少し時間がかかるかもしれない。

2009年8月10日月曜日

午後からリハビリ2ラウンド

大雨で作用川が氾濫し犠牲者が大勢出ているという報道。
酒井法子の覚醒剤事件。
普段あまり見ないテレビは繰り返し同じニュースを流している。

夕べ寝るまでに「案純な脳、複雑な「私」」を読み終えた。
自由意志というのは、行動の事後的に認識される観念で、意志の前に脳は行動を準備している、錯視と同じように時間の経過の感覚も脳は錯誤をもたらすようになっている、自由というのは事後的に納得すれば自由、行動を停止する意志しかもちあわせていない、、
といった話が印象に残った。
ここでの自由は身体制御における自由と必然の関係で、人間的自由という場合は社会関係が絡んでくるから、事後的に認識される観念といえるのかどうか。そんなことを考えさせられた。

昼食後うつらうつらしてたら男性の理学療法士が呼びにきた。
リハビリセンターに移動して、ダンベルやゴムチューブを使って上半身の筋肉を鍛える運動。ベッドの上でじっとしていることの多い入院生活2週間が経過し、体中の筋力は大幅に落ちている。
こんなことがと思う運動がけっこうきつい。
右足のスクワットとかかと上げの運動も行って一旦終了。

夕方4時過ぎに女性の理学療法士が呼びにきた。
再びリハビリセンターに移動。
骨折して手術したてあちこち硬くなった右足のストレッチ。ベッドに寝転んだで、足を伸ばしたまま右足を上げたり、左右に動かす運動を行う。手術で切った痕の筋肉や傷口が痛むので思うように動かせない。
平行手すりでの移動。スクワット。かかと上げ。底の丸くなった台の上に乗ってバランス。そのバランスをとりながらのスクワット。
少し汗ばむ。
明日からは1時半になったら呼ばれなくてもリハビリセンターに来てほしいとのこと。
それと夕方。
これから毎日、2ラウンドのリハビリが続くとのこと。

2009年8月9日日曜日

膝を曲げられる角度は130度

日曜日は看護学生の実習も休みなのでのんびり出来た。図書館で借りてきた本を読み進める。
「単純な脳、複雑な「私」」
午前中に本職の看護士にシャンプーをしてもらう。
車椅子に座ったまま洗面台の前で前かがみになって自分で頭を洗うこともできないこともないけれど、折角のサービスなので洗ってもらう。
昼食後うつらうつら。
執刀したT先生の回診があるというので本を読み進めながら待っていた。
膝を曲げるための機械があるそうでその装着をするということを看護士さんが言っていた。
夕方T先生がベッドまで回診。
金曜日に撮影したレントゲン写真も持ってきてくれた。


まだ新しい骨が出来てきている状態ではなく、しばらくは右足に体重を掛けないようにしましょうねとのこと。
膝の曲がり具合を測定。130度曲がっているとのこと。
よく曲がっているので機械の装着はどうするかもう一度検討しますということだった。
夕食の後、看護士さんがきて、機械の装着を明日しますと言い残していった。
そんな機械なのかはいまのところ不明。

2009年8月8日土曜日

熱気からは隔離された夏

手術した右足の痛みで夜熟睡できないため、午前中は眠たい。
今日も看護学生のシャンプー実習の練習台になって午後は終了。
午後からリハビリがあるというので本を読みながら待機。
理学療法士が呼びにきたのは午後4時。
ゆうべ届くはずと思っていたパジャマがまだ届かないので、病院で借りている入院着とはだける太ももを隠すためのタオルを持ってリハビリセンターに向かう。
「外は暑いですよ」と理学療法士。ずっと快適な温度に管理された病棟の中に居るので、体温調節機能も劣化してると思うけど「ちょっと外に出てみたいです」といってみる。「訓練がおわったらちょっと出てみましょうか」といってくれる。
腿の関節も、膝の関節も昨日よりさらによく曲がるようになってきている。ベッドに寝たまま折れた右足の屈伸運動や横に持ち上げる運動を繰り返す。やはりまだ、腫れや内出血、そして萎縮した筋肉が痛い。
平行手すりに移動して右足のスクワットとかかと上げ、それぞれ20回3セット。かかと上げがきのうよりきつく感じる。
手すりにつかまりながら左足だけを着地させて歩く練習。これは楽で負荷も少ない。10往復を難なくこなす。
松葉杖での歩行練習。リハビリセンターの中を周回。はじめは少し杖が長すぎて杖を前に移動するときに床に引っかかる。杖の長さを調節するロックピンを1段短くしてもらってさらに周回。取扱がだいぶ楽になる。
5週ほど回る。うっすら額に汗が滲む。運動不足のせいもあるが、腕には結構負担がかかる。
駅から会社まで、バス停から自宅まで、それぞれの距離を松葉杖で歩くのは結構負荷がかかる事になるなと想像しながら、本日のリハビリメニューは終了。
リハビリテーション総合実施計画書というシートを見せてもらいながら、リハビリの現状と今後の計画について簡単な説明を受ける。重篤で障害の残るようなレベルではないので記載されている内容は深刻なものではない。
「本人の希望」を記載する欄があり、「なにかありますか?」と聞かれたがどんなことを答えていいかわからず「さあ、特に」と答えたら「『早く自転車に乗りたい』って書いときますね」と笑顔でそのまま書いてくれてサインをくださいというので本人サイン欄に署名して控えをもらった。
「このまま自力で病室まで戻れますか」ときかれたので「はい」と答え礼を言って、リハビリセンターを退出。
時間は午後5時になっていた。外に出てみましょうかという提案は、時間の都合か、忘れられたのか、実施されなかった。
病室までの廊下でたまたま自動ドアの開いた横を通ったときに外の熱気が流れ込んでくるのを感じた。
外に出るのはやめておいたほうがよかったとその熱気を感じて思った。

2009年8月7日金曜日

モデル、実習台、そしてリハビリ

手術後1週間経過。午前中にレントゲン写真のモデル2ポーズの撮影会。放射線管理区域なのでギャラリーはなし。
その後看護実習生のシャンプーモデルと午前中はモデル業。
午後からウツラウツラしてたらベッドの脚をキャスター付きのものから固定のものに交換してくれた。寝床の高さが少し低くなったので車椅子への移動もその分楽になった。
そのあとまたウツラウツラしてたら看護実習生の体拭きの練習台。
それが終わってウツラウツラしてたらリハビリの呼び出し。
左足の片足スクワット20回を3セット、爪先立ち20回を3セットなど段々負荷が強くなってきた。とはいえ運動量はとても少ない。
右足にはまだ体重はかけられないけれど筋肉を引っ張る運動を行う。その負荷も強くなって来ている。

2009年8月6日木曜日

左大腿部裂傷縫合抜糸

コンクリートブロックに激突したときに出来た左足大腿部の裂傷、救急車で搬送されてERで縫合処置を受けた処の抜糸。下肢の擦過傷も順調に皮膚が再生してきてるとの事。事故から13日目。
両親と妹、その末娘が見舞いに来てくれた。地下のコンビニでサンドイッチやジュースや牛乳を買ってくれる。車椅子でついて行く。
妹がコセキサイクリングセンターのパーツカタログを持ってきてくれた。妹の旦那の趣味はモーターバイクだけれどマウンテンバイクも持っているとのこと。
持ってきたのは2007年版のパーツカタログ。暇つぶしに使ってくれという。ぱらぱらとめくってみる。ホイールが欲しいと思う。でも、まずは怪我を治してからのこと。
午後2時からリハビリセンター。担当の女性理学療法士は本日休みのため、初日に顔合わせした男性理学療法士が交代で訓練指導。負荷をかけた足の運動。並行手すりでの右足や右足首の屈伸運動。約40分の訓練。筋力は相当弱っていると思われる。
車椅子への移動は介助を受けずに自力で出来るようになっている。

2009年8月5日水曜日

リハビリセンター

夕べは発熱の上、ずっとベッドに接地しているお尻の痛みと、足の痛みとのトレードオフに悩まされてよく眠れなかった。足の痛みを和らげようと楽な姿勢をとるとそれは限られた範囲の姿勢で、床ずれにもなりそうなくらいにお尻の一部分にだけ負担がかかる。そのお尻の負担を軽減しようと体を横向けにすると、手術をした足の腫れた筋肉や内出血している部分が突っ張って痛む。
どちらかを耐えないといけない。
そんなわけで、朝は顔拭きのタオルを目が覚めて待ち構えているのに、朝食が配膳される頃になってようやく目が覚めた。
朝食後もうつらうつらする時間が続く。
隣接する看護学校の看護学生が実習のためということで担当につく事になった。暇なのか何かと世話を焼いてくれようとする。
昼食前に車椅子に移動して洗面所へ。リクライニング式になっている車椅子を倒して、看護学生がシャンプーの実習。これまで2回、ベッドで限られた水量でのシャンプーだけだったのに比べると、水量を気にしなくてよいシャワーでの洗髪は気持ちよくさっぱりとなった。
午後の3時過ぎになってから理学療法士が来てくれる。
今日は車椅子に移動して、リハビリセンターに移動。
ちょっとしたジムのような感じもするが、やはりリハビリのための施設。
歩行練習のための手すりや、運動するためのベッド、サイクルマシンも目に入る。サイクルマシンを指差してあれに乗りたいですと言ってみる。やはりまだだめですといわれる。
ベッドで足の曲がる角度の計測。
腿が上がる角度、膝が曲がる角度ともに昨日は60度だったのが今日は75度まで曲がるようになっている。
そのあと、ベッドに横たわったまま負荷をかけながら足を動かす訓練。
負荷といっても通常ならほとんど抵抗にならないほどの力と思われるけれども痛みに耐えながらなのでなかなか大変。
そのあと並行に渡された手すりにつかまって片足で歩く練習、そして、松葉杖を使って歩く練習まで進んだ。
まだ、単独での車椅子の移動は許可をされていない。移動するときはナースコールをならして介助を受けながら車椅子に乗ることと規制されている。
今日はここまでと言われたときはまだ物足りない気がしたけれどまた熱が出てもいけないので素直にリハビリ終了に従う。

2009年8月4日火曜日

リハビリ疲れで発熱?

今日のリハビリは昼食前の午前中。
昨日と同じく曲がる角度の計測をしたあと足に力を入れて動かすトレーニング。
トレーニングといっても足の曲げ延ばしや足首の上下運動を右足は10回1セット。
左足は20回1セット。
そのあと車椅子に移動。
昨日よりも介助の度合いが少なくても移動できるようになった。
トイレまで行って便器に座ってみるところも手伝ってもらいながら練習。
障害者用のトイレに付いているパイプの意味がよくわかった。
トイレの中で患者と理学療法士と看護婦の3人で頑張ってた。
実際に用をたすことはなかった。
そのあと部屋に戻って昼ご飯。
食後、トイレにいきたくなったので車椅子を手繰り寄せて一人で乗ってみた。
何とか乗れたのでトイレに向かったところで看護婦さんに発見されて「まだ危ないので一人では乗らないでください、乗るときは手伝いますのでナースコールを鳴らしてください」と怒られた。
一人で車輪を回して行きたかったけれど看護婦さんが後ろから押してくるし、曲がり角もコントールされるので面白くない。
便器に座ったけど便意は無くなってしまいそのままベッドに戻ることに。
トイレの外には車椅子2台が渋滞して順番待ちをしてた。
看護婦さんに手伝ってもらってベッドに戻ったところに社長と奥さんが見舞いに来てくれた。
見舞いと仕事ももってきた。
午後からいくつかの仕事の宿題を片付けて夕方から鶴見慎吾がイタリアのロードレースに挑戦するドキュメンタリ番組を見てた。
まださらのままハンガーに吊してあるのと同じLEGONのジャージでピナレロの自転車でがんばっている姿が映し出されていた。
その自転車140万円とのこと。
自分が手に入れられるわけではないけれどその金額を聞いてもそれほど驚かなくなって来ている。
そのあと会社からのメールがきてないかチェックして2通ほど返事を書いた。
早い夕食。
なんか疲れて熱っぽい。
周りからはすでにいびきも聞こえてきてる。
ナースコールを鳴らして検温してもらう。
37.5℃。
氷枕を用意してもらう。

2009年8月3日月曜日

リハビリはじめの一歩

午後から理学療法士の若い女の先生がやってきてリハビリ訓練が始まった。
始めに脚の長さや太さをメジャーをつかって測定。
折れた右足の膝の上の太さは左足より2センチ太い。
そのあとそれぞれの足の可動域がどれくらいか実際に動かしてみた。
なかなか厳しい。
筋肉が突っ張って動くかせる角度が小さい。
右足を延ばしたままでは45度の角度までしか上がらなかった。
元々体は硬い方ですとは言わなかった。
そのあとベッドから降りて車椅子に乗ることに挑戦。
介助を受けながら車椅子に移動することに成功。
右足が充分曲がって足置きに乗せることが出来ないので膝の後にクッションをあてがって力を入れなくてもいいようにしてもらった。
久しぶりに上半身だけやけど真っ直ぐに立ち上がった。
カーテンを動かしてみたら窓の外の景色が見えて緑の山肌と青い空が見えた。
車椅子を動かすことは今日はしなかった。
車椅子に座っている間に看護婦さんに敷布団のシーツを替えてもらった。
理学療法士の先生は看護婦さんにベッドへの戻り方の指示をして次の患者のところへ移動。
シーツの交換が終わったところで看護婦さんの介助を受けながらベッドに戻った。
健康な人間の体は体全体の力を見事なバランスと力の配分で動かしているのだと実感した。

2009年8月2日日曜日

反省

昼過ぎに妹の旦那が見舞いに来てくれた。何度も何度も命に別状が無くてよかったと慰めてくれた。

他人を巻き込む事故にならなかったのがとにかく良かった。
それと命に別状が無かったこと、怪我も重傷で後遺症も多少は心配だけれども、重度の障碍になることはなさそうなこと。
峠を登りきったところでは、休憩を取り、水分補給を行い、心拍数を確認し、意識がはっきりしていることを確認しないといけない。
テクニックが伴っていないのだから、下り坂では、スピードを抑え目にゆっくり降りないといけない。
自転車でのカーブはリーンアウトが基本だそうだ。
そんなことも知らなかった無知。
自転車に乗れるようになったら気をつけよう。
その前に車椅子。

2009年8月1日土曜日

リハビリ開始

両親が見舞いに来てくれた。
ホスピスへの入所を予定している父親は急速にやつれてきている。
お盆の五山の送り火の観光客相手の仕事を最後に引退するといっている。「もう、やめとき」と言ってみる。
昨日の手術を受けて、今日からリハビリを開始の予定。
担当のリハビリの先生が休みだそうで、代理の先生が来る。
車椅子に移動することをまず目標にしましょうということだったけれども、足が動かず断念。
あまり無理しないで、ぼちぼち行きましょうと慰められる。
日曜日はリハビリは休みで、月曜日より再開予定。

2009年7月31日金曜日

手術

午前9時半手術室に入る。
全身麻酔。
点滴のチューブから麻酔薬を注入。
午後2時覚醒。
その間の記憶は一切無し。
右足の膨張した筋肉が引っ張られるような強烈な痛み。
入院しているベッドに帰ってきて痛み止めを打ってもらいようやく落ち着く。
足はまったく動かすことが出来ない。

2009年7月25日土曜日

大腿骨骨幹骨折

午前5時起床。
仕事絡みのネットの情報を確認し7時にトースト3枚の朝食を済ませる。
タイヤに空気を入れチェーンの汚れを拭ってオイルを注す。
サイコンとハートレイトモニタをリセットしてスタート。
宇治橋から天ヶ瀬、立木観音から南郷を東に渡ってさざなみ街道を北上。
琵琶湖大橋。
琵琶湖大橋を西に渡って堅田から161号線を坂本へ。
坂本から比叡山の山中越えを登って比叡山ドライブウェイの料金所を過ぎた下り坂、そこまでノンストップで2時間半約80キロメートル走行の疲労とここまで快調に走れてきた高揚感といつになく早く登れた山中越えの坂道の達成感がいわゆるサイクリングハイの状態をもたらしていたのかもしれない。
料金所を過ぎて京都に向かう下り坂。
ブレーキに指をかけることもなく下っていく。
ブレーキ操作を全くしなかったのはサイクリングハイの症状かと今になって思う。
前方に右カーブ。
道路の左端にはコンクリートブロック。
ブレーキをかけるという判断もできないままあのコンクリートブロックにぶつかるのかと刹那に思いながら激突。
スピードを出し過ぎて右に曲がるカーブを曲がり切れず車道の端の高さ1メートルほどのコンクリートブロックに激突。
激突した瞬間バキという大きな音がしたのは自転車の音と思ったけれど今になって思うと大腿骨が真っ二つに折れた音と思われる。
激突して体は歩道に投げ出され自転車は車道に残った
もっとも自転車だけが車道に残っていたのはあとからわかったこと。
着地したときは頭に衝撃も感じず視界もはっきりしてたので大事にはならなかったと安堵して立ち上がろうとすると足が動かない。
見ると右足首の先はあらぬ方向に向いていて動かそうとしても動かない。
折れたかなと思ったけれどそれほど痛みはない。
動けないのでジャージの後ろのボケットから携帯を取り出し電話をかけようとするが圏外。
車道を走る車の屋根だけがコンクリートブロック越に見えるので大声で「たすけて~」と叫んでみるが反応は無し。
数台がコンクリートブロックの向こう側の車道を屋根だけ見せて通り過ぎて走っていく。
コンクリートブロックに遮られて歩道に倒れている負傷者は車の運転席からは見えない。
少し痛みを感じ始める。
助けを求めることも出来ないのかと焦躁。
どれくらいの時間が経ったのかよくわからない。
痛みはそれほどでもないのに意識が朦朧とし始めたとき顔の上から「どうしました大丈夫ですか」という女性の声を聞く。
声の主の顔を見ようとするが上から覗き込む顔は空の明るさの逆光になってみえない。
「救急車をお願いします」とかろうじて言う。
このあたりからの記憶は曖昧で断片的になってくる。
しばらくすると男性の声も交じっている。
女性が男性に対してここは携帯が繋がらないのでもう少し坂を降ったところにコンビニがあるのでそこから電話をして救急車を呼んでもらえますかというような会話が聞こえる。
視覚の記憶はこのころから殆ど残っていない。
救急車を呼んで来てくれたらしい男性が自転車を自宅に届けますからというので住所を答える。
視界の端に車道から歩道に移動してくれたらしい自転車が見えるが損傷の程度はわからない。
事故を起こした場所は大津市の管轄らしく大津市の消防局の救急隊が峠を登って向かってくるらしいことが聞こえてくる会話でわかる。
しばらくするともう一人女性の声が増えている。
昔救急にいたとことがあると言っている。
「骨折している」
「応急処置が必要」
という声が聞こえる。
どんな応急処置がされたのかなにもされなかったのかよくわからない。
サイレンの音が聞こえる。
救急隊が担架に載せてくれる。
折れている足を出来るだけ動かさないように苦労してもらってるが体が動かないので協力することもできない。
救急車のベッドに乗り込んでもすぐに出発するわけではない。
住所、名前、生年月日、連絡先等の質問をされる。
酸素マスクごしに荒くなってきている呼吸の間を縫って応える。
搬送先の病院をどこにするか検討してもらってる。
大津の赤十字、音羽病院、京大病院等の声が聞こえる。
峠を戻って坂本から西大津バイパスを通って山科の音和病院が一番早いし住所も近いのでいいのではとの結論。
京大病院なら父も入院しているのでいいかもしれないと思ったけれど口を差し挟まなかった。
ようやく出発した救急車にはいつの間にか警察官も乗り込んでいて身元の確認、事故の状況について質問してくる。
フレームに貼付けてある防犯登録の番号を無線で伝えているのが聞こえる。
酸素マスクごしに応える声はかすれて絶え絶えになる。
自転車は前輪を外して救急車に積み込んだけどよかったですかと聞かれる。
ホイールのクイックリリースなのでいつでも付けられるんですとう説明は省略して「はい」とだけ承諾する。
現場で自宅まで届けてくれるという男性の好意はありがたかったけれど不要な迷惑をかけずに済んだ。
山中越えの峠を登る前に坂本でボトルのアクエリアスを一口飲んでから補給してなかったので喉が渇いている。
警察官の質問が終わったところで何か飲みたい、自転車のフレームにボトルが付いていると思うのでそれを飲ませてほしいと頼むが病院に着いてからの検査があるため我慢してほしいといわれる。
救急車の天井しか見えないなか今から西大津バイパスです、あとトンネン2つでバイパス終わりです、バイパス出ました、もうすぐ病院です、着きました、と救急隊員が話し掛けてくれるのは安心感が得られる。
雨が降っている音が聞こえる。

救急車から降ろされERに運ばれる。
天井しか見えない移動。
沈痛剤の急速点滴を開始。
足の痛みは激しい。
呼吸も荒く酸素マスクは病院のものに付け替えられる。
ハートレイトモニタのセンサーを外しジャージをはだける
点滴袋をぶらさげたままレントゲンとCTの撮影。

ERに戻りレーサーパンツをハサミで切って脱ぐがされる。
高いものやろうけどゴメンネと看護士が謝っているが謝られる筋合いではない。
レーサーパンツが切り裂かれてこの時全裸の状態。
両足の膝の辺りに局部麻酔が打ち込まれてるらしい。
動けないので視線を向けることもできない。
チクリチクリと痛みが膝に走る。
続いて何か措置されているらしい。
折れている骨に重しを付けて牽引するので足に重しを付ける穴を空けますねと説明されたが理解できず「はい」としか応えられない。
この処置が終わったところで一段落。
入院の部屋の確保や手続きをしますと言われて待たされる。
断続的に誓約書めいたものにねたまま署名。
説明は受けてそのときは納得したけれどもどんな書類だったのか内容は覚えてない。
しばらく待たされる内に鎮痛剤が効きはじめたのか痛みは緩和されてきた。
家族に連絡できますかというので番号を押して携帯を渡す。
右足の大腿骨骨折と打撲・擦過傷。
左足の擦過傷と創傷。
幸い骨盤より上半身は無傷。
大腿骨にチタンの棒を埋め込む手術を行い固定後リハビリ治療
入院1ヵ月。
通院リハビリ2ヵ月の見込み。

2009年6月7日日曜日

50歳のレースデビュー

「サイクルエンデューロin播磨中央公園」に参加してきた。

7時前に会場に到着、受付を済ませてウォーミングアップにコースに出てみようとしたところで、NASU FAN CLUBのユニフォームを発見。恐る恐る声をかけてみる。ウエツキさんとJさんとにはじめましての挨拶をさせていただく。
3周ほどコースを回って見る。スタート直後の登り坂がきびしい。

2時間耐久ソロに出場。
午前8時スタート。
スタートではみんながダッシュして坂道を登っていく勢いに、「これはだめだわ、レースに出るなんて100年早やかったわ」と気持ちが折れそうになったけれどがんばって周回を続けていく。
たくさん追い抜かれるのでどれくらいの位置にいるのかは途中ではさっぱりわからない。
1時間経過後、登り坂の入り口でシャワーの放水が始まる。その水しぶきの中に走れ込んで水滴を浴びるのが気持ちよい。
登り坂では自分は荒い呼吸をしているのにスイスイと抜いていく人たちの呼吸の音は聞こえず、チェーンの回る音とタイヤが拾うロードノイズだけが静かに追い抜いていく。
50km/hを超えるスピードで車体をぎりぎりに傾けながらカーブを抜けていくところは気持ちよかった。
何とか2時間走り抜いてゴール。
20週で13位の成績。

ウエツキさんは途中タイヤがパンクのアクシデントで歩いて坂道を降りられていた。
Jさんは3位争いをされてたが残念ながら僅差で4位とのこと。
お二人とも午後からのレースにも参加されるとのこと。タフです。

11時ごろ会場をあとにする。
いい体験ができました。ありがとうございました。


サイクルコンピュータの記録(耐久レース分)
走行距離 61.34km
走行時間  2:05:41
平均時速 29.2km/h
最高時速 58.2km/h
積算距離 6029.8km

2009年6月6日土曜日

LSDのつもりが

明日の播中エンデューロのためLSDでセーブして走るつもりがどうしても途中でがんばってしまうところもあったけれど171号線から2号線を経て走行。
月曜日から使い始めたハートレートモニタでLSDの領域で走ろうと思っていたけれど、どの心拍数ゾーンが適当なのかよくわからない。
130bpmあたりを越えないようにと思いつつ150bpmを超えたり。
翌日に疲れを残さないような走り方になったのかどうか。
出発 5時40分
到着 12時41分
所要時間 7時間1分
サイクルコンピュータの記録
走行距離 147.04km
走行時間 5:37:46
平均速度 26.1km/h
最高速度 50.4km/h
積算距離 5958.4km
心拍数の最高・平均は237・124とおかしな数字

2009年5月30日土曜日

老ノ坂で青いTREKに追いつく

昨日の帰りに寄ったスーパーで購入した日焼け止めクリームをスネに塗って出発。
老ノ坂峠は先週よりも快調に登れる。前方に自転車が見えてきてだんだん近づいてくる。頂上トンネルの手前で追いつくが、追い越しはせずにそのまま亀岡市街地を後ろについて走る。スパイダーマンのジャージの青いTREK。峠で他の自転車に追いつくなんてちょっと嬉しい。TREKは篠の交差点で左折して行ったので追走はそこまででおしまい。
9号線をさらに北上。
地図で見たら372号線の本線を行くより湯の花温泉の旅館街を通るほうが近道だったのでそのコースに左折。ところが旅館街を通る道のアップダウンはとてもきつかった。
天引峠は今日はショートカットのトンネルを走る。トンネルの入り口に自転車は安全のため歩道を走るようにと看板があったので歩道を走る。充分に広い幅の歩道に他の通行は無かった。
篠山市街に入る手前で赤いジャージのロードバイクと軽く会釈してすれ違う。
篠山市街手前のコンビニで少し休憩。梅干のおにぎりをひとつ補給。
先週迷い込んだ篠山市街にも迷い込むことなく、372号線を順調に進む。
いくつかのアップダウンを超えて社に10時に到着。市街を過ぎたところで再びコンビニ。梅干と昆布のおにぎりを補給。
足は余裕がるけれども、腰がだる痛い。
先週に続いての山道コース。
出会ったロードバイクは老ノ坂のTREKと篠山の赤いジャージの2台だけ。

出発 午前5時40分
到着 正午
所要時間 6時間20分

サイコンの記録
走行距離 149.27km
走行時間 05:29:51
平均時速 27.1km/h
最高時速 66.0km/h
積算距離 5529.4km

2009年5月28日木曜日

物欲

通信販売でハートレイトモニタを注文してしまいました

2009年5月26日火曜日

タイヤ交換

今日は少し仕事が速く終われたので、自転車を購入したショップによってみた。何か買うあてがあるのではなかったけれど、タイヤに細かなスリットはたくさん走っているのが気になっていたので、大丈夫なのかどうなのか聞いてみようという算段。
前輪も後輪もだいぶ消耗していてタイヤのサイドに亀裂が入りかけているとのこと。
1月の末に購入したロードバイクは片道25kmの通勤と週末のサイクリングで走行距離が5200kmを少し越えたところ。
店長が言うにはタイヤの交換は走る路面の状況にもよるけれども概ね1000kmから2000kmで交換時期とのこと。
いろいろやり取りをして前後のタイヤとチューブを交換してもらう。1万円の出費。
自転車通勤ってエコロジーはともかくエコノミー的にはどうなのかしらんと思ってしまう。
ウェアや部品や消耗品やとなにかと出費の要素も多い。いろんな話を聞いてると自転車そのものも高価でもいいものが欲しくなってくる。
タイヤの交換も結構な出費になるわけで、みなさんどれくらいの頻度でタイヤの交換されてるんでしょ?

2009年5月25日月曜日

カーマインローション

土曜日に走ったときに初めてひざ下までのレーパンを履く。
ふくらはぎから靴下のところまで、日焼けで真っ赤に。
西に向かって午前中走ったので左足のふくらはぎと右のふくらはぎが真っ赤に日焼け。特に左足がひどい。
このところ日に当たることのほとんど無かったふくらはぎ。
薬局でカーマインローションを購入して手当て。

2009年5月23日土曜日

デカンショ街道

京都から姫路まで、9号線と372号線。いつもの171号線と2号線の平坦ルートとは異なりタフできついアップダウンの多いコースを走った。
老ノ坂峠では圧倒的に早い自転車に抜かれて貧脚を思い知らされる。
ヒーヒーいいながら登っているのに、スイスイと登っていく。その自転車は坂道を下りたところで対向車線に見えたので、再び老ノ坂峠を京都方面に向かうらしい。
とうろう街道からデカンショ街道へ。天引峠はトンネルのある新しい道ではなく車止めがされている旧道を登る。枯葉や倒木が道を覆っている。写真は峠の頂上から。
篠山の市内に迷い込んで372号線に戻るまでに30分ほどタイムロス。
篠山を過ぎてからもアップダウンが続きしんどいコースだった。
坂道の走り方、もっと鍛えないといけないらしい。

出発 午前5時20分
到着 午後1時05分
所要時間 7時間45分
サイコンの記録
走行距離 161.83km
走行時間 06:18:10
平均時速 25.6km/h
最高時速 72.9km/h
積算距離 5095.0km

2009年5月19日火曜日

リアディレーラー調整

数日前から気になっていたリアディレーラー。
シフトレバーを触ってないのにギアが変わったり、シフトしようとしてレバーを押すと段が飛んでしまうようなことが起こっていたので、ショップに持ち込んで見てもらう。ディレーラーが通常より内側に入り込んでいるので調整しますとの事。20分ほど待って調整をしてもらった。
ディレーラーを一旦取り外して、付け直し。チェーンとスプロケットの掃除とオイル補充もしてくれて調整費はサービス。
午後8時までの営業時間なのに残業して対応してくれた。感謝。
5月19日通勤復路
走行距離 32.94km
走行時間 1:09:58
平均時速 28.2km/h
最高時速 44.7km/h
積算距離 4774.4km

2009年5月18日月曜日

通勤記録、平均時速30km/h新記録

平均時速30km/h達成。
本日ツアーオブジャパンの奈良ステージ。
ダウンチューブにSHIMANOとかかれた自転車と遭遇。
走行距離 25.88km
走行時間 0:51:43
平均時速 30.0km/h
最高時速 45.7km/h
積算距離 4688.0km

2009年5月16日土曜日

天気予報

天気予報は雨ということだったので自転車を使わない週末にしたけれど、土曜日の昼過ぎまでは降らずにもったので、自転車を使えないことも無かったわけで、天気予報に惑わされて自転車乗り損ねた距離は約150km。この週末は走行距離を稼げない週末。

2009年5月15日金曜日

通勤記録

昨日は風が強くて平均時速は23.1km/hしか出なかった。
今朝は気温もちょうど良く、通勤の平均時速の新記録を更新。目標の30.0km/hには一歩及ばず。
走行距離 25.48km
走行時間 0:51:04
平均時速 29.9km/h
最高時速 43.5km/h
積算距離 4635.5km

2009年5月10日日曜日

日曜日は輪行で回復走

日曜日は輪行で回復走
竜野から網干まで
走行距離 10.00km
走行時間 00:24:01
平均速度 25.0km/h
積算距離 4384.0km

京都駅から醍醐まで
走行距離 13.81km
走行時間 00:31:48
平均速度 26.1km/h
積算距離 4397.8km

2009年5月9日土曜日

伏見から姫路まで 2号線でTRECK3台遭遇

西宮で171から国道2号に入ったところで1台、お先に失礼する
須磨で1台40km/hでm抜かれる、マルコポロサイクリングチームの必勝と書かれたウェアは40km/hでぐいぐい進んでいくのでついていけない、水族館の前で力尽きてしまう
姫路で1台お先に失礼する
3台のTREC2勝1敗

午前5時50分出発
午後0時20分到着
伏見から姫路
サイコンの記録
走行距離 147.65km
走行時間 5:21:25
平均速度 27.5km/h
最高速度 51.8km/h
積算距離 4373.9km

2009年5月6日水曜日

坂道6番、土砂降りにわか雨で濡れ鼠






天気予報は芳しくなかった連休最終日。
何とか自転車に乗ってすごす休日をと思っていた。
雨は上がって道路も乾いている。
とにかくどこかに出てみようと身支度。
ところが、サイコンがおかしくなってる。
今思えば裏側のモードボタンやメニューボタンやリセットボタンがなんらかの理由で押されて表示がおかしくなっていたのを、故障したと思い込んでしまった。
これはショップに持ち込んで修理をしないといけない、修理が不可能なら心拍計のついたいいやつを買い換えることも含めて考えないといけないというふうなことを思いながらショップが開店するのは午前10時。
じっと待っているのももったいない。
3時間で往復できるところまで走って開店時間に一番のお客として登場しましょというつもりでとにかく出発。午前7時。
西の空が明るいので西に向かって走ってみることに。
東野から国道1号線西に。
五条坂ののぼり。
体が温まり始めた体力十分で東山隊道通過。まだ朝が早いので車は少なく下り坂ではトップギヤで加速しながら東山五条まで。スピードはサイコンが壊れているので不明。
五条通りを西進。
桂坂辺りから向かい風が強く感じるようになってくる。
朝のクラブ活動に向かうママチャリの高校生を追い抜きながら老ノ坂峠にさしかかる。
長い坂道。
25年ほど前、XJ750というシャフトドライブのオートバイでこの峠を上り下りしたときに車体の軽いRD350という2サイクルのバイクについていけなかったことを思い出す。
今は自分の脚力だけが頼り。坂道を汗を流しながら登る。
亀岡から姫路に通じるデカンショ街道の入り口を確かめて引き返す。
亀岡側からの登りは短い。老ノ坂から京都に向かう長い下り坂を楽しむ。
京都市内を五条通りを経て五条坂を登って山科へ。
ショップにたどり着いて、開店準備で店の奥から店頭に並べる自転車を移動している何度か会話して顔見知りになっているアルバイトの店員をつかまえて表示がおかしいと訴える。
店内に展示されている自転車を見ているうちに直してくれた。
が、時計の時刻表示がリセットされたせいで1:17というような表示になっている。
マニュアルを見ながらセットしないといけないので少し時間がほしいというので食事をしてくることにする。
王将の天津飯を食べて戻ってくると時計も正常に表示されていた。
礼を言って店を出る。10時40分。
宇治に向かう。
平等院から宇治川ラインを経て立木観音、南郷、夕照の道、さざなみ街道と琵琶湖大橋を目指す。北風が向かい風でスピードは上がらない。
それでも心配していた雨は降ることなく時折日差しもある。
琵琶湖大橋を渡り、途中越か山中越と逡巡。初めての途中越を選択。
堅田から少し西に走ったところに鯉幟の大群が目に付いたので記念撮影。
汗いっぱいかきながら途中トンネルの脇を通る坂道を登る。
時速は10キロからせいぜい15キロ。
脚が足りなくなってようやく頂上。
下り坂は気持ちいい。
ところが大原の集落に差し掛かった辺りで雨。
それも本降りの雨。
全身びしょ濡れの濡れ鼠。
大原を抜けるトンネルを越えると雨の気配はまったくなくなり、冷たくなったジャージを風にさらして早く乾けと祈るばかり。
体は温かいのでこのままこぎ続けて行こう判断。
長い時間こいでいるのと濡れた股間が不具合。
レーパンが要るなあとコセキさんにでも寄ってみようと思う。
宝ヶ池の丘を越えて北山通りのを走って少しでもジャージを乾かしてから店に行こうと思って千本五辻の昆布屋さんの交差点を右に折れて店の前に行くと本日は休養日。
仕方がないので堀川通りから八条口の前を通って24号線を伏見方面に向かって帰宅。
六地蔵から石田にかけての外環状線でまもなく到着、ゆっくり流して走っていたところにビュンと抜いていく自転車があったので追走。コルナゴと刻印のあるフレームのストラップペダル。ジーンズの短パンにメッセンジャーバッグのノーヘル。追走して圧迫をかける。若い彼は必死でペダルを回している様子。すぐ後ろをプレッシャーをかけながら追走。後ろを振り返る表情には、何やこのおっさん、まだついてくるんかいな、という焦りを見て取ったところで一気に加速した。
しょうど信号が変わり際だったので、おそらく若い彼は信号につかまって追跡をあきらめたもよう。
というわけで、連休最終日、雨の天気予報にもかかわらず結構な距離を走れた一日となりました。
坂道リスト
山科からの五条坂
京都からの老の坂
亀岡からの老の坂
京都からの五条坂
天瀬ダムサイトの登り坂
堅田から途中峠に向かう登り坂
以上6番坂道

大原の雨は全身ずぶぬれ
乾く順序は
上半身前
上半身後ろ
下半身前
下半身後ろ
パンツ
靴下は乾かず

2009年5月1日金曜日

もう少しでave30km/h

少し追い風の助けもあって帰路平均時速の新記録。30km/hにはあと一歩。

5月1日通勤往路
走行距離 25.87km
走行時間 0:56:52
平均時速 27.3km/h
最高時速 40.3km/h
積算距離 3879.3km

5月1日通勤復路
走行距離 25.93km
走行時間 0:53:10
平均時速 29.2km/h(新記録)
最高時速 41.8km/h
積算距離 3879.3km

2009年4月26日日曜日

サイクリングイベント初参加

Legon自転車紳士録というSNSのメンバーの由起さんが企画してくれた枚方~奈良サイクリングに参加させてもらった。
集合場所の枚方大橋までものすごい向かい風。
集合時間の9時には余裕を持って到着できるはずがぎりぎりになった。
すでに3人のローディーが待っておられる。お一人は違うコースに向かわれるとかで3人で次の淀川サイクリングロードで御幸橋にむかう。サイクリングロードは広々としていて追い風にもなって気持ちよく走れた。ところどころにある車止めをクリートをリリースして乗り越えなければならないのが難点。
集合場所でたけちゃんがお待ちかね。しばらくするとSAMちゃんも登場。コンビニによっていたというかっちゃんと上田さんという女性2人も合流し奈良に向けて出発。
御幸橋までという上田さんにあわせてゆっくりとスタート。
御幸橋で上田さんに別れてさらに南下。
途中で天候が悪化。
いったん奈良まで行ってみようとさらに南下。
雨が降ってきて状況はさらに悪化。
山城大橋まで行ってみようということになる。
残念ながら山城大橋でUターン。
南に向かっていった親子連れのサイクリングの集団はどうなっただろう。
御幸橋を目指して再び北上。
途中でまた雨脚が強くなってくる。
流れ橋の休憩所で避難していると由起さんが四季菜館で休憩しようと呼びに来てくれる。
四季菜館で筍パンを食べたり手打ちそばを食べたりして正午ごろ雨脚が弱くなってきたところで再スタート。
御幸橋で皆さんと別れて淀方面に向けて北上。
空が少し明るくなってきたので1号線を北上。堀川通りを御池まで上がり川端通りまで。
今日のイベントでレーパンをはかず、アイウェアを付けてないのはぼくだけだったのでやっぱりほしいなと思い川端御池のTRECKショップに雨宿りがてら立ち寄ってみる。
ウェアもレーパンもアイウェアもそれにいい自転車もと、物欲がもたげてくるが、トイレを借りただけで購入する決断はできなかった。
実家に寄るとガンの治療をしていて去年の今頃には余命半年と言われていた父親がCT検査でガン組織の大きさが半分になったと換気扇の下でタバコを吸っていた。まあ、いまさらタバコは体に悪いからやめろとは言わない。
掘りごたつに入っていると眠気が襲ってきて阪神広島のテレビ中継がかかったテレビを見ることもなく夕方まで昼寝。
夕方、出発して帰宅。
自宅-横大路-御幸橋-枚方大橋-淀川CR-御幸橋-木津川CR-山城大橋-木津川SR-流れ橋・四季菜館-御幸橋-横大路-東寺-堀川御池-川端御池-京都会館-天王町-錦林車庫-実家-蹴上-山科-東野-自宅
サイクルコンピュータの記録は次のとおり。
走行距離 104.20km
走行時間 4:22:16
平均時速 23.8km/h
最高時速 44.4km/h
積算距離 3617.3km

2009年4月25日土曜日

雨降り

土曜日の出勤は雨降り。
電車で出勤。

2009年4月24日金曜日

ボトルゲージ購入

ダウンチューブには自転車を買ったときからボトルゲージとボトルが付いてきてたけれど、シートチューブにはネジ穴にネジが埋まっているだけ。
シートチューブに取り付けるボトルゲージとボトルを購入。
通勤往路
走行距離 25.92km
走行時間 0:56:31
平均時速 27.5km/h
最高時速 42.0km/h
積算距離 3487.7km
通勤復路
走行距離 25.40km
走行時間 0:53:13
平均時速 28.6km/h
最高時速 44.6km/h
積算距離 3513.1km

2009年4月15日水曜日

通勤往路。
これまでで最高の平均時速を記録。
到着後、火照った体を心地よい風が冷ましてくれる。
これからの季節、汗の処理が課題になりそう。
走行距離 25.96km
走行時間 00:55:04
平均時速 28.3km/h
最高時速 41.5km/h
積算距離 3200.2km

2009年4月14日火曜日

雨降り

久しぶりの雨。
雨のため電車で通勤。
傘をさしての帰り道。
ズボンの膝上まで濡れる。
雨の日の歩き方が下手になったかも。

2009年4月11日土曜日

花見日和

明石から国道2号線を西進。
姫路の今宿の手前で真っ赤なアンカーに追いつく。フレームはもちろんスポークのホイルも携帯用のエアポンポンプも真っ赤。ヘルメットにも赤があしらってありその下に巻かれたバンダナも赤。ショートサイズのレーシングパンツは黒だった。その下から白い脛が伸びていた。横並びになったところで軽く会釈をして追い抜いたが赤いライダーの反応はわからず。
揖保川の堤防でコンビニ弁当を遣う。播州平野の斜面の急な山の新緑がふんわりとパステル色に盛り上がってきている。対岸には満開の桜並木。
走行距離 59.57km
走行時間 02:17:42
平均時速 24.1km/h
最高時速 40.6km/h
積算距離 3098.9km

2009年3月29日日曜日

京都駅から

輪行して京都駅で下車。
八条口で前輪をはめ、輪行バッグをたたんでいると、八橋の土産袋を3つほどぶら下げた長崎から来たという青年に「輪行の途中ですかと?」と声をかけられた。長崎からシクロクロスを持ってきて週末北山辺りまで出かけたそうだ。何かイベントに参加でもしたのかと思って聞いてみるとそうではなくて観光旅行のようだった。
「気をつけて」と声をかけて別れる。

走行距離 12.59km
走行時間 00:28:23
平均時速 26.6km
最高時速 43.9km
積算距離 2666.5km

2009年3月28日土曜日

週末ライド

午前7時30分出発
171号線、2号線、179号線を経て午後3時到着。
今日はあまりへたれなかった。

走行距離 148.13km
走行時間 05:50:31
平均速度 25.3km
最高時速 43.6km
積算距離 2642.6km

2009年3月21日土曜日

記念撮影



午後から出発。
岩見坂の峠を越えてはりまシーサイドロードを西に向かう。
相生のボート公園で休憩。あいおい白龍城(ペーロン城)と相生大橋を背景に携帯のカメラで自転車の写真を撮ってみる。
あいおい白龍城(ペーロン城)でも撮影ポイントを探すがあまり適当な場所が見つからず、ペーロン船の艇庫の前で撮影。
折り返して2号線から揖保川を北上。ここから宍粟市という看板を見た次の橋で折り返す。天気のいい連休の中日。快適なサイクリングとなった。
走行距離65.02
走行時間02:26:41
平均速度26.5
最高時速57.8
積算距離2278.0

2009年3月20日金曜日

自転車にも税金の補助を

午後4時半に起床。雨が降っている。小降りになったかと思えばまた降りだす。7時までまってようやく空模様が安定してきたので出発。
171号線を高槻に向かう。そのまま箕面・神戸方面の標識に従って進む。
9時半過ぎ、神戸の本山のコンビニで休憩。
春日野の交差点でポートアイランド方面ではなく、三ノ宮方面に進む。
三ノ宮・元町の駅前を過ぎて中央分離帯に植えられた桜が咲いているのを見ながら西に進む。
10時半過ぎ、須磨の手前で急に減速、ハンドルが重くなる。
パンク初体験。
自転車を降りて空気の抜けた前輪を持ち上げながら自転車やがないかどうかと歩きながら探す。
国道2号線沿いの歩道をしばらく行くと自転車屋の看板。砂漠でオアシスを見つけたときの嬉しさとはこういうことなんだろうか。砂漠もオアシスも良く知らないけど。
まだ店の照明も付いてない奥の事務所から奥さんが出てくる。「どうしました」「パンクしました」「前ですか?後ろですか?」「後ろです」
奥にいるご主人を呼んでくれる。
まだ客を迎える顔にはなっていない主人が自転車を修理スペースのある別の入り口に引っ張っていって、道具箱を兼ねた木の箱に腰掛けて、チューブを取り出す。
吹いてくる風が冷たくなってきたので販売スペースの入り口に戻って店内を見渡す。エスケープR3の在庫もある。クロスバイクが多い。
走行しているうちに戻ってみるとほぼ修理作業は終盤。主人がチューブをタイヤの中に押し込んでいる。
ガラスの破片が刺さっていたらしい。まだタイヤの中に破片が残っているかもしれないけど大丈夫だろう、脅されているのか安心させてくれているのか良くわからない。
パンクの修理やチューブの交換の練習もしとかないといけないなあと思う。
修理代金を支払って再出発。
須磨の水族館を越えた辺りから車が込み合っくる。
車の脇をすり抜けていく。
後でわかったことだが、三井アウトレットパークや1000円に値下がりした明石海峡大橋への車の殺到で混んでたらしい。
高速道路の値下げって、環境問題に逆行して車をたくさん走らせる事になるけどいいのかしらん?移動手段を車に頼らず電車や自転車で動く人には税金の支出支援がなくてもいいのかしらん?と疑問に思ったのは夕方のテレビニュースで見てから思ったこと。この日のテレビニュースはアメリカでやってる野球と海ほたるの混雑と陣内・紀香の離婚との3本立てのみ。
明石の海風は向かい風。この風で体力を消耗。
到着はパンクのアクシデントやへたれ事も含めて午後3時。
サイクルコンピュータの記録は次の通り。
走行距離 149.32km
走行時間 6:03:41
平均時速 24.6km/h
最高速度 55.0km/h
積算距離 2,212.8km
3月走行距離 1,038.7km

2009年3月19日木曜日

スリップストリーム

通勤往路
車の通行量がちょうどよい感じになった国道の平坦地。トラックの後ろに付いて無風の真空状態のような中で47km/hのサイコンの表示を一瞬見ることができた。
それがMaxSpeedとして記録に残っていた。

通勤往路サイコンの記録
走行距離 25.871km
走行時間 0:57:30
平均速度 26.9km/h
最高速度 47.6km/h
積算距離 2037.2km
3月積算走行距離 863.1km

2009年3月18日水曜日

世間は狭い?

サイクルコンピュータのケイデンス表示不具合のためショップに持ち込む。磁石やセンサーの部品が脱落しているわけdもなく、速度や距離は表示されるのでセンサー内部の不具合か配線の不具合か不明。メカに詳しい店長が不在なので預かって修理したいとの事だったが、ケイデンスが表示されなくても自転車は走るので、いつか都合の良いタイミングで預ける事にすると修理は延期。
ハンドルバーについているライトが走っているうちに下向きになってくるのでもう少し強めに固定したいが方法がわからなかったので教えてもらう。
話をしたショップの店員が長男の高校時代の同級生と判明。世間は狭い。

サイコンの記録はケイデンス表示のテストをするための空回しの分も含んでいるため実際の走行距離はもう少し少なめ。平均時速はもう少し早め。
走行距離 33.41km
走行時間 1:17:25
平均速度 25.9km/h
最高速度 44.4km/h
積算距離 2011.3km
3月積算走行距離 837.2km

先週の金曜日は雨、週末は所用のため3日間自転車に乗れなかった。これがちょうどよい休息になったのか、今週に入ってからの通勤所要時間が短くなった。サイクルコンピュータの記録する平均時速が25km/hを下回らないスピードで26km弱の通勤経路を走れている。平地で巡航速度30km/hを維持するのはそれほど苦にならない。35km/hを維持しようとすると息が切れてくる。
サイクルコンピュータのTripTimeは1時間を切っている。出発から到着までの総時間はそれに10分ほど加算した時間が多めにかかっている。
夜明けも早くなって往路ではライトを点ける必要はほとんどなくなってきている。天気も良い。
少し自転車に慣れてきたのかなという感じがしている。
これからは汗対策が課題になってきそう。
サイクルコンピュータのケイデンスが0としか表示されない。

通勤往路
走行距離  25.76km
走行時間  00:58:06
平均時速  26.6km/h
最高速度  41.9km/h
積算距離 1977.9km
3月走行  803.8km

2009年3月8日日曜日

軽自動車から声かけられる

昨日の疲れが残っているのを自覚しながら復路はゆっくり走ろうと午前8時半に出発。
神戸の街中でめがねをかけた小柄なロードバイクに追いつかれる。しばらく後ろについて走る。
レーパンのお尻にほころびを縫った痕が見える。
そのバイクは途中で六甲山か有馬温泉に向かう川沿いの道を左折していった。もちろん付いていって峠を登る体力も時間も無いのでそこで別れて2号線を東に進む。
尼崎あたりの信号待ちの交差点で、軽自動車の助手席の窓から声が掛かる。
「おにいちゃん、その自転車なんぼくらいすんの?」
定価を応えると「へー、そんなすんの!高いな~」「いやいやもっと上等のもんもあって、これはまだまだ安いほう」「そやけど普通の自転車に比べたらすごいやん、パンクしたらえらいことやね」運転席の男性が「パンクせえへんようなタイヤなんや」と解説。
パンクするしパンクの修理もチューブを交換したり、、、と答えようとしたところで信号が変わって軽自動車は大阪方面に向けて走り去っていった。
淀川の右岸の道を北上。高槻方面行きの道路標識に沿って高槻市役所前のスクランブル交差点から171号線に合流。
淀の競馬場の近くのコンビニでスポーツ飲料を購入。
午後4時到着。7時間半の道のり。

サイコンの記録は
走行距離 151.57
走行時間 6:23:23
平均時速 23.7
最高時速 44.1
積算距離 1,691.8

2009年3月7日土曜日

100kmでへたれる

午前7時30分出発。
京都から171号線を走って姫路に向かう。箕面の丘陵の坂道は思ったほど苦痛にならず下りも快調。
東灘辺りのコンビニでトイレ休憩。ビタミン入りのスポーツドリンクを購入。ボトルキーパーにはめてあるボトルにはまだ水が残っていたので混ぜるのもどうかとゆっくり飲み干した。でも、これはあまりよくない。運動中の糖分を含んだ飲料は少しずつ摂取しないと、その吸収のため消化器官に血液が回るため運動に支障をきたすらしい。
前日にスーパーで1袋100円のミニドーナツを携行。10個入りなので30分おきに食べようと心積もりはしてたものの、走り出すと食べるタイミングを捕まえるのがなかなか難しい。
100km、加古川の橋を越えた頃からそれまで時速25km以上の巡航速度で進めていたのに、急激にパワーダウンを実感。巡航速度25kmを維持するにはかなりがんばらないといけない状態になった。
ドリンクの飲み方が悪かったのか、補給の仕方が悪かったのか、体力不足なのか不明だが残りは速度はでないものの、なんとかがんばる。
姫路の手前、国2号線が片側通行で南北に分かれる手前で少し休憩。残りのドーナツ2つを口の中に放り込む。
姫路を越えて、2号線の今宿の手前で赤いヘルメットとバンダナから白髪のこぼれたロードバイクに「こんにちは」と声をかけられながら抜かれる。「こんにちは」を返事をしたけれど弱弱しい声が届いたかどうか。何とか後ろを付いていく。姫路日赤の手前で右折のため信号待ちしているバイクを抜いてさらに西進。信号待ちをしていた付近にはトマトというTRECのショップがあるけれど、そこの関係者かなと想像してみる。
2号線から179号線に別れて目的地までもう少し。
午後3時到着。
所要時間のべ7時間半。
サイクルコンピュータの記録は次のとおり。
走行距離 147.90
走行時間 06:09:04
平均時速 24.0
最高時速 46.8
積算距離 1,540.3

2009年3月5日木曜日

踏み切り事故

早いペースで漕ぎ進んだが途中踏切事故の影響で車が両方向とも長く渋滞。渋滞の横を慎重にすり抜けながら進んで、一旦帰宅したところで平均速度は26.4kmと新記録更新。
その後、本日返却期限の図書館の本を返しにいったので平均速度は落ち込んだ。

通勤帰路
走行距離 29.43
走行時間 01:09:31
平均時速 25.4
最高時速 40.3
積算距離 1,392.4

2009年3月1日日曜日

播磨科学公園
から下り坂で60kmの速度が出た。車が少ないのでそれほど怖くは無かった。くだり勾配の揖保川沿いを気持ちよく国道2号線に向かう。2号線から網干の看板を頼りに右折。田んぼや養鶏場の独特の臭いの中を走って網干駅まで。

2009年2月28日土曜日

栗栖川

姫路から龍野公園を経由して播磨科学公園都市へ向かう。揖保川の支流の栗栖川の流れが春を思わせる柔らかい流れになっている。播磨科学公園へ向かう坂道は立ち漕ぎで時速10キロ前後。フーフーと汗が出る。小川洋子の『科学の扉をノックする』という本を読んで見てみたいと思ったSpring-8の前まで行ってはみたがなにか敷居の高いものを感じて内部の見学はやめた。また次の機会に見学に行こうと思う。

2009年2月26日木曜日

フロントシフトレバー

早めに仕事を終えてショップに向かう。朝動かなくなったフロントのシフトレバーを調整してみらうため。自動車の通行量が時間帯のせいか、いつもより多い。渋滞した車の脇を慎重に抜けていくのでスピードはあまり出ない。トラックなどの死角の多い車体の脇を抜けるときはさらに注意深く走る。この時間帯だと25kmの道のりでも渋滞している自動車より自転車のほうが早い。
ショップに到着。フロントがインナーに落ちない旨申告。店員が手でクランクを回しながらフロントのシフトレバーをごそごそとするとチェーンはインナーに落ちている。説明によるとレバーが入りすぎてどこかに引っかかって動かなくなったのではとのこと。ちょっと乗ってもいいですかというのでどうぞと。店員はスニーカーのまま自転車にまたがって店の外に。しばらくすると戻ってきてハンドルステーを外してなにやら調整してくれている。前輪のハブもゆるくなっていたらしく、クイックリリースレバーの抵抗が指で動く程度ではいけなくて手のひらで力を入れて倒れるくらいの硬さにしておかないといけないと言われた。別に触ったわけでもないので、自然に緩んできたものと思われる。
調整を待っている間にパーツや付属品の陳列された壁を眺めていて以前から欲しかった輪行袋に目が行く。店内に残っていたもう一人の店員にお勧めの輪行袋はどれかと訊ねてみる。前輪だけを脱着するタイプのものがチェーンやギアのトラブルが少なくて手軽という。サイズは少し大きくなるけれどその方がらくだというので前輪だけ脱着するタイプのものを購入。
通勤帰路
走行距離 33.34
走行時間 01:24:44
平均時速 23.6
最高時速 44.0
積算距離 1,136.1

1時間

暖かい朝。夜明けも早くなってきている。少し重めのギアでケイデンスを落としてペダルを回す。漕ぐ力が少しついてきたのかケイデンス70で持続できる。
途中でまたフロントディレーラーがインナーに落ちなくなった。
1時間を切るタイムは初めて。
通勤往路
走行距離 25.90
走行時間 0:59:31
平均時速 26.1
最高時速 43.0
積算距離 1,102.7

2009年2月25日水曜日

雨の日

雨のため電車通勤。今週は雨の日が多い。
夕方には雨は止んでいた。

2009年2月24日火曜日

雨あがりの徐行

職場に到着後雨が降り出す。昼過ぎには雨は止んだが日差しは戻らず路面は乾かないままの復路。スリップに注意しながら徐行運転。
通勤往路
走行距離25.81
走行時間1:05:03
平均時速23.8
最高時速43.2
積算距離1,049.1
通勤復路
走行距離27.70
走行時間1:21:57
平均時速20.3
最高時速57.9
積算距離1,076.8

2009年2月23日月曜日

朝から雨のため電車通勤。

2009年2月22日日曜日

運転免許

運転免許更新に向かう。下見をした甲斐があって試験場まではスムーズ。ところが受付をしていない。更新受付の張り紙の矢印の先には人の気配はない。
どうしたことかともう一度案内ハガキを見てみると、受付時間が9時半までとなっている。ついさっき受け付け時間が終了したばかり。一日中随時受付と思い込んでいた。午後からの受付は午後1時からとある。3時間以上も時間がある。中途半端。
嵐山木津自転車道に戻り流しながら上野橋まで。折り返して赤池のラーメン屋で少し早い昼食。
自転車チェーン店に入って輪行袋を物色。適当な商品は置いてなかった。
本屋に入って立ち読み。文庫本を1冊購入して試験場へ。すでに受付の長い行列ができている。文庫本を読もうと思ったら行列に向けて受付の要領を説明を始めた。用意するもの、免許証と案内ハガキ、有効期限の過ぎた免許の更新は平日しか取り扱えないこと、受付への案内ハガキの渡し方、、、
文庫本は読めないまま1時になり受付。申請手数料の支払、視力検査、写真撮影と順番に窓口を回り講習会場に。
2年前に駐車違反があったので1時間の講習を受講。
自転車が歩道を走ることのできる条件が緩和されたとの話があった。歩道に自転車通行帯を設ける措置も取られているとの事。
でも歩道の通行帯は歩行者にも自転車にも危険。専用の自転車通行帯をつくって欲しいというところ。
無灯火逆行の婦女子、高校生に対する自転車安全運転の教育をもっとして欲しい。
講習が終わって免許を受け取り帰宅。

走行距離 63.87
走行時間 2:51:34
平均時速 22.3
最高時速 43.2
積算距離 1,023.3
積算距離 959.4

2009年2月21日土曜日

下見

先日運転免許更新の案内ハガキが届いた。土曜日は受付をしていなくて日曜日は受付をしているとの事で翌日の為に運転免許試験場への道順を確認するために下見をしておこうと横大路から羽束師へ向かう。鴨川を越える高架の橋は自転車・軽車両通行禁止になっている。側道を探す。歩道を乗り越えた先に高架橋と並行して進む道を発見。鴨川まで進む。何度か通った自転車道に行き当たる。が、堤防を下から見上げる位置になるので自動車専用の高架橋の下に二段構えで人道橋があることにそのときは気付かず橋を探さないとと自転車道の手前の一般道を左折して南下。前方に橋のある気配が無いので引き返す。先ほど左折した羽束師橋のふもとから河川敷の様子を確かめようと自転車道に出てみたら、人道橋を発見。
下見に来ておいてよかった。自転車道を走っているときには視界には入っているはずだけれど、意識してないと橋の存在も記憶には残らないらしい。
運転免許試験場の鉄の門扉は閉じられていて閑散としている。客待ちのタクシーが1台止まっているが客が付くのかどうか。
再び自転車道へ。北上して嵐山を目指す。堤防や河川敷に植えられている梅の花が咲いて春が近いことを思わせる。
自転車道をふさいで走ってる4人組の女子高生に「あけてー」と大声で叫ぶ。素直に左側に寄ってスペースを空けてくれる。追い越しざま「どうもー」と声をかけると「はーい」とかなんとか、風の音で妨げられてよく聞き取れはしなかったけれど元気の良い好意的な返事が返ってきて気分がいい。
嵐山の手前のグランドでは種目は不明ながら多くのチームが集まってグランドの周囲にシートを広げている。自転車道にはみ出して広げているチームもあり徐行。
シーズンオフの嵐山の観光客は少ない。人力車が列を作って並んでいる。自転車のぼくにも人力車に乗っていきませんかと声がかかる。
桂川の左岸を南下。観光バスが幅寄せしてくる。上野橋を超え国道9号線、国道は横断できないので西京極寄りの信号まで行ってユーターン。再び自転車道に合流。
八幡に向かうか逡巡。羽束師で左折。横大路を超え通行禁止の高架を回避して中書島の旧市街の細い道を抜ける。観月橋から外環で六地蔵を超え宇治へ向かう。宇治の手前のコンビニでどら焼きと羊羹を仕入。
天ヶ瀬から南郷、琵琶湖の東側を琵琶湖大橋まで。琵琶湖の湖面は穏やかで風も弱く走りやすい。堅田から浜大津までは追い風となって国道1号線に合流。膝に少し痛みが出始めたので逢坂山の上り坂はゆっくりと登坂。
帰りにショップに寄って輪行袋を物色。購入の決断がつかないまま帰宅。


羽束師-試験場-嵐山-横大路-六地蔵-宇治-天ヶ瀬-南郷-夕照の道-さざなみ街道-琵琶湖大橋-堅田-浜大津-東野-椥辻
走行距離 142.97
走行時間 5:57:11
平均時速 24.0
最高時速 55.9
積算距離 959.4

2009年2月20日金曜日

電車の窓から坂を見る

ゴーゴーヒューヒューという風の音で目が覚める。雨も強く降っている。今日も電車で通勤。雨が滴る窓ガラスに自転車で走る濡れた路面が見える。
電車から見える坂道はそれほどたいした勾配には見えないのにずいぶん苦労して登っているように思える。

2009年2月19日木曜日

図書館

夕方から雨の天気予報。電車で通勤。右膝の痛みは治まる。

帰り道、図書館に予約していた本が届いたというので受け取りに。予約していた以外の本も借りた。
図書館を出たところで雨が降り出した。
予約してなかった書架から取り出して借りてきた方の本から先に読み始める。

2009年2月18日水曜日

付け忘れ

朝、サイコンをセットし忘れた。6kmほど走ったところの交差点の赤信号で停車したときに時刻を見ようとハンドルバーのサイコンに目を落としたときに気がついた。夜明け前でまだ暗くバックライトの付いていないサイコンにはそこまで視線を当てることは無かった。本日のoutの走行距離が短いのはメーターの付け忘れのため。
到着後、右膝の前の内側に少し痛みを感じる。
復路は軽めのギアでゆっくりと流して帰った。
通勤往路
TripDistance 19.60
TripTime 0:47:54
AverageSpeed 24.5
Max Speed 40.6
Total Odo 790.0
通勤復路
TripDistance 26.42
TripTime 1:13:27
AverageSpeed 21.6
Max Speed 35.2
Total Odo 816.5

2009年2月11日水曜日

宇治川ラインから嵐山

宇治川ラインでは対向する1台の自転車に出会っただけで自転車は少なかった。曽束辺りの工事現場から出入りするダンプカーに大音響のクラクションを鳴らされてびっくりする。
南郷から北に走る夕照の道で歩道をのんびりサイクリングする高校生男女4人組を追い抜く。瀬田大橋を超えたところのコンビニでおにぎりを買おうと立ち寄るが適当なおにぎりは売り切れ。いなり寿司3個いりのパックを購入。店の横で食べていると先ほどの4人組が追い越して先に行く。再出発してすぐに再び追い抜きさざなみ街道を順調に巡航。風も少なく30キロから35キロで快調。何台かのクロスバイクやマウンテンバイクを追い抜く。
さざなみ街道で35キロほどで巡航していると1台のロードバイクに抜かれる。ケイデンスは低いがぐんぐん引き離されていく。がんばってはいけないと思いつつ回転を上げてすがり付こうとしたが引きちぎられた。
琵琶湖大橋をそのまま北上。彦根まで約40キロとの表示があったので彦根までいってみようと思ったがしばらくして雨が降り出してきた。北の空はどんより暗く重たい。滋賀北部の天気予報の降水確率が40%だったのを思い出し野洲川を渡る手前で引き返し琵琶湖大橋へ。
堅田から南下。堅田で小学生か中学生か、車の下敷きになった自転車の横で腕を押さえて痛がっている。その横でおそらく車の運転手らしい男性が携帯電話で事故の通報をしている様子。自転車のダメージは大きそうだった。
近江神宮の前を通って山中越え。大量の汗。スピードは出ない。途中一台のロードバイクが坂を下りてくるのとすれ違う。
へろへろになりながら料金所の手前でマウンテンバイクに抜かれる。マウンテンバイクは料金所のところかっらUターンして坂を下りていった。
下りは車も少なく好調。比叡山山頂から三条京阪に向かう京阪バスの路線バスを追い越し北白川へ。銀閣寺道を右折して今出川通りを白梅町まで。北の天満宮の前の店でなにやら行列ができていたが看板を見逃す。
白梅町を左折して円町。円町で牛丼屋に入ろうと自転車を停めて店に入ったら牛丼屋ではなくラーメン屋だった。ラーメンセットを注文。冷たく冷やしたお茶がおいしい。
ラーメンセットを完食してさらに丸太町通りを西へ。
JR嵯峨野線の踏切を越えると観光客が一気に増える。道路を渡ろうとするカップルをよけながら渡月橋。
公園の砂利道を慎重に超えて自転車道。
何台かを追い抜く。ファミリーサイクリングらしき集団とすれ違う。
羽束師で自転車道をおりて横大路。中書島の高架は自転車通行止めなので淀川派流の情緒漂う町並みの中を抜けて観月橋。
電気屋で単3の充電器と電池のセットを購入。ヘッドライト用。本屋で立ち読み。外に出てみると路面が濡れている。雨もまだ少し降っている。もう一走りどこかに行こうかと思案していたけれど雨模様なので本日は終了することにした。


宇治-天瀬-宇治川ライン-南郷-夕照の道-さざなみ街道-琵琶湖大橋-堅田-坂本-山中越-銀閣寺-白梅町-円町-常盤-嵐山-自転車道-羽束師-横大路-中書島-六地蔵
TripDistance 121.64
TripTime 5:10:02
AverageSpeed 23.5
Max Speed 47.1
Total Odo 614.5

2009年2月8日日曜日

木津川

木津川沿いの自転車道を北に向かって走る。北からの風が逆風となってスピードが上がらない。ケイデンスを100~110で回して時速は20kmを少し上回るだけ。脚力、体力不足の上にこの向かい風はきつい。
ファミリーサイクリングの集団を何組か追い抜いていく。
すれ違う追い風の南行きには集団や単独走行のロードバイク。中にはピンク色のヘルメットの女性もいた。
途中からリアのディレーラーがまた調子が悪い。ギアにしっかりかみ込まずパタパタと音を立てながらスプロケットの上を滑る。
ショップでリアディレーラーの調整をしてもらい調子よくなって帰宅。

木津-木津川大橋-中書島-観月橋-六地蔵
TripDistance 46.77
TripTime 2:07:42
AverageSpeed 21.9
Max Speed 44.7
Total Odo 432.4

2009年2月6日金曜日

通勤往路
TripDistance 25.74
TripTime 1:01:58
AverageSpeed 24.9
Max Speed 45.0
Total Odo 385.6
暖かい
途中でウィンドブレーカーを脱ぐ

2009年2月5日木曜日

通勤往路
TripDistance 25.75
TripTime 1:03:44
AverageSpeed 24.2
Max Speed 40.1
Total Odo 334.0

通勤復路
TripDistance 25.88
TripTime 1:01:11
AverageSpeed 25.3
Max Speed 42.0
Total Odo 359.8

2009年2月4日水曜日

濃霧

朝、濃霧
通勤往路
TripDistance 25.83
TripTime 1:14:21
AverageSpeed 20.8
Max Speed 35.8
Total Odo 272.1
リアのディレーラが滑る
通勤帰路
TripDistance 36.12
TripTime 1:36:33
AverageSpeed 22.4
Max Speed 58.5(?)
Total Odo 308.2
ディレーラの調整をしてもらう
ローのネジが緩んでいるのとワイヤーの伸びが原因との事、調整後快調

2009年2月1日日曜日

インストラクタ試験
長池-太陽が丘-天ヶ瀬-立木-南郷-瀬田-九条山-東野
TripDistance 42.5
TripTime 1:43:21
AverageSpeed 24.6
Max Speed 52.1
Total Odo 194.1
立木から南郷まで二人組みの列車に引っ張ってもらう
そろいの黒いウェアに黒いヘルメットの二人組みは南郷で右折
列車の3車目で走る初体験、これは楽しい

2009年1月31日土曜日

淀-八幡-自転車道-木津-城陽-宇治
TripDistance 72.21
TripTime 3:11:04
AverageSpeed 22.6
Max Speed 42.7
Total Odo 129.6

2009年1月29日木曜日

TCRにて通勤開始
往路
TripDistance 25.77
TripTime 1:03:22
AverageSpeed 24.4
Max Speed 41.2
Total Odo 30.4
復路
TripDistance 26.94
TripTime 1:10:29
AverageSpeed 22.9
Max Speed 40.2
Total Odo 57.4

2009年1月28日水曜日

R3 最終日
通勤往路
TripDistance 26.15
TripTime 1:08:33
AverageSpeed 22.9
Max Speed 39.6
Total Odo 1677.1
通勤復路
TripDistance 28.96
TripTime 1:13:59
AverageSpeed 23.5
Max Speed 37.2
Total Odo 1706.1

GIANT TCR Alliance 1 納車

2009年1月26日月曜日

右ひざ痛みあり(軽症)

2009年1月25日日曜日

休日出勤
朝、雪が降る
その中を走って後輪のハネでズボンの尻が濡れる
通勤往復
TripDistance 52.98
TripTime 2:24:25
AverageSpeed 22.1
Max Speed 39.8
Total Odo 1545.7

2009年1月24日土曜日

東野-九条山-大津-瀬田大橋-さざなみ街道-琵琶湖大橋-堅田-浜大津-九条山-東野
TripDistance 69.23
TripTime 3:28:49
AverageSpeed 19.9
Max Speed 43.0
Total Odo 1492.7
さざなみ街道は北風の向かい風
琵琶湖の湖面は強風で白波が立ち湖水は湖底の泥がかき上げられて茶濁
琵琶湖流入河川を渡る橋の上では風に煽られふらつく
「中華そば殿」という店でスタミナラーメンとライス、店内に貼られたポスターで加茂店の住所が相楽郡のままになっていたけれど合併して木津川市になっていることは指摘しなかった。

2009年1月23日金曜日

GIANT TCR Alliance 1 注文

2009年1月18日日曜日

城陽インストラクター勉強会
雨降りのため城陽駅の自転車置き場に一泊

2009年1月17日土曜日

瀬田大橋-さざなみ街道-琵琶湖大橋-堅田-坂本-山中越-銀閣寺-蹴上-東野
TripDistance 78.25
TripTime 3:38:48
AverageSpeed 21.5
Max Speed 49.1
Total Odo 1284.7
さざなみ街道で数台ロードバイクにぶっちぎられる
エアロバー付の車にも佐川美術館あたりでぶっちぎられる

2009年1月8日木曜日

TotalOdo 1000km突破

2009年1月4日日曜日

蹴上-山科-九条山-大津-石山-南郷-立木-天ヶ瀬-宇治
約50Km
サイクルコンピュータのケイデンスが表示しない