2009年8月31日月曜日

予断は誤認?

病院の地下にあるコンビニの横に設置してある新聞の自動販売機で日経新聞を購入。ほとんどが30日投票の衆議院総選挙の結果についての記事。2時間ほどかけて広告と候補者名簿詳細以外は全ての記事に目を通した。

金曜日に撮影したレントゲン写真を執刀医のT先生が病室まで持ってきてくれた。まだ骨の癒合は進んでいないということ。折れた断面が水平なので、計画通り昨日から実施している1/3荷重の訓練を進めることになったといのこと。


月末だったせいか、一人は退院、一人は別の病棟に移動、そして一人は急性期病棟から移動してきた14歳、中学生。
少年の刈り上げた後頭部にはさらに剃り込んだラインの模様が入っている。

昼過ぎに移動してきた中学生は荷物が落ち着いて看護師が居なくなるや否やゲーム機をピコピコやり始める。昼間なので大目に見てた。
午後からのリハビリに出かける時には少年は昼寝をしいた。

リハビリは昨日に続き1/3荷重がどの程度のものなのか、感覚をつかむためにヘルスメーターを並べて、体重を掛ける練習。
ヘルスメーターを見ながらであれば調整できるが、見てないと荷重は少なすぎる。
過大に荷重をかけるより少な目のほうが安全なのでそれでよいと理学療法士は言ってくれる。少しずつ慣れていくしかないようだ。
20kgの荷重というのはそれほど重いのもではない。
これなら負荷の軽いペダリングならできそう。
リハビリセンターに設置してあるサイクルマシンを使ってみたいと理学療法士に申し出てみる。
それには主治医の許可が要るようですぐに回答はもらえなかった。
ハートレートモニタは病室に持ってきたので、サイクルマシンでLSDでもできたらなと思う。

リハビリから戻ってきたら病室では少年がピコピコとゲーム。
その後、夕食。
日が暮れてくる。
夕食が終わった後もまたピコピコ。
ここは初めにびしっといっとかんとと思って
「君、イヤホンつけてやってくれるか」
決まり悪そうな笑顔でこっくりと首を縦に振る。
案外、素直な対応。
刈り上げた髪の毛の後頭部にラインの模様が入っていることで持った予断は外れか。

しばらくしてから
「大野君、もう晩御飯は食べたんか?」
「うん、もう食べた」
「これ食べるか?」
ナビスコのクラッカーの包みを1つ渡す。
「いいの?」
「ああ」
「ありがと」
という会話を交わした。

今日は4人部屋に収容されているのは2人。
明日にはもう一人入ってくるという看護師さんの話。

2009年8月30日日曜日

1/3荷重開始

今日からリハビリは新しいステップに入る。
昨日のカンファレンスで右足に1/3の荷重をかけてもいいという判断が出たらしい。

リハビリ室の平行手すりのところにヘルスメーターを2つ置いて左足が40kg、右足が20kgになるように立つ練習。これは重心を左足に置いて両足で立つとそれくらいの荷重配分になるのでそれほど難しくはない。
次に、平行手すりに沿って、ヘルスメーターを交互においてもらって、その上を歩いていく練習。
左足が着地しているときはいいが、歩くと左足が地面から離れて右足が地面(ヘルスメーター)に着いているタイミングがある。
そのときに右足を踏んでいるヘルスメーターが20kgを超えないようにするには手すりにつかまっている両腕に体重を分散しなくてはならない。このバランスがなかなか難しい。
何度か、平行手すりを往復して感覚がつかめるように練習したが、まだ身についていない感じでラストの往復のときでも5kgの過少から25kg過多までばらつきがあった。
右足への荷重があまりオーバーしないよう慎重になるあまり、腕に分散する荷重が多すぎたり、もう少しかけてもいいかと思うと、思いのほか多すぎたりと安定しない。
担当の理学療法士も自分は怪我をしたことが無いのでうまくアドバイスできないんですと、自力で体得するしかないらしい。

2009年8月28日金曜日

蒲鉾状路面と松葉杖

午前中に理学療法士によるリハビリ指導、その後、レントゲン撮影。
リハビリ指導では、松葉杖の歩行訓練で駐車場を取り囲む道路まで出て歩いてみる。普通に歩いていたは気にならなかった道路の傾きが、松葉杖を突いて歩いてみるとよくわかる。
道路は中央が盛り上がり、路側が低くなっていて、極端にいえばかまぼこ状の構造になっている。路側の付近を歩いてみると、普通に歩いているときよりも松葉杖で歩くほうがその傾斜がよく体感できる。歩いているときは無意識に両足がバランスをとってあまり傾きを感じないようにしているらしい。
2週間に1回のレントゲン撮影。朝のバイタル検査のときに看護師が、「今日はレントゲンがあるのでリハビリ終わったら放射線科の受付に行ってください、もう一人で行けるでしょ」といわれた。リハビリが終わってから放射線科の受付で病棟と氏名を告げると「入り口の前で待っていてください」といわれる。
しばらく待って、撮影スタジオへ。
ベッドの上に寝転んで、ポーズを付けるのは女性の放射線技師。マスクをしているのでどんな表情なのかよくわからない。カメラマンは別室で「はーい、じっとしてくださいね」という声だけの男性放射線技師。3ポーズの撮影して、レントゲン写真モデルのお仕事は完了。
そうこうしているうちに昼食。
昼食後、ベッドに寝転んでいると居眠りをしてしまう。
目が覚めたら午後2時。
隣のベッドの入院患者がナースコールで看護師を呼んでいる。なにかあわててる様子。看護師が来ると、居眠りしてて起きたら朝と間違えてインシュリン14単位を注射したと言っている。ところが、その訴えが看護師には理解できないらしい。
「朝起きたら打ったんやね、それでいいんですよ」「ちがうねん、起きたら朝やし打ったんや」「ええ、だから朝でいいんですよ」としばらく患者と看護師の頓珍漢な応酬が続いた。
入院生活も1ヶ月を過ぎた。
もっとたくさん本でも読めるかと思っていたけれど、そうでもなく、毎日が過ぎていく。
明日は鈴鹿のイベント。来年は参加できるようになりたい。

2009年8月26日水曜日

期日前投票

リハビリセンターの横の会議室が、入院患者向けの期日前投票の投票所として準備された。
入院患者で衆議院総選挙の投票日当日に退院や外出をして投票所にいけない患者の為のもの。回復期リハビリ病棟に転棟する前の急性期病棟の病室で鎮痛剤を処方されてほとんど動けない状態だったときに病棟師長が申し込み用紙を持ってきてくれてそれに記入したので、期日前投票を病院内でできる事になった。
投票所となった会議室の入り口のテーブルには、何種類かの選挙公報が並べてあった。入院患者はいろんな選挙区から集まってくるわけで、その分の選挙区ごとの広報が用意されたらしい。
投票用紙に記入して、二重封筒に入れ、内封筒を封緘し、立会人に渡す。立会人は確認して外封筒を封緘し手渡してくれる。手元に戻った封筒3枚を投票箱に投入。車椅子に座ったままでは投票箱の投入口は少し届きにくかった。
入院患者はたいてい暇なので、多分病院内の投票率は普通の投票所より高いと思われる。
少し時間をずらして空いた頃を見計らって行ったので待つことなく滞りなく権利を行使した。

2009年8月23日日曜日

処暑



病室の窓から眺める朝の空。空も雲も高くある。秋の気配。赤いジャージの自転車が大津・琵琶湖方面に向かう坂道を登っていくのを見た。今日はサイクリング日和。
昨夜、就寝前に服用したアレロック錠のおかげか、今朝は蕁麻疹がまったく出ていない。

2009年8月22日土曜日

蕁麻疹に『ミントールレスタミン軟膏』と『アレロック錠』

朝食の後、作業療法士のS先生が作ってくれた上半身の自主トレメニューを行う。メニューで示された内容は回数の強弱をつけたり、痛みのある左肩に負担のかかる動作は回数を減らしたり、メニューには無い腹筋を加えたりして実施。少し汗が滲む。
看護師さんがバイタル検査に病室に来る。血圧が運動した後のため少し高い。今日の午後から、皮膚科の診察があるので時間がきたら呼びに来ますとのこと。
しばらくすると理学療法士のO先生が病室まで来てくれた。女性の理学療法士。車椅子でリハビリ室に向かう。リハビリ室のベッドがいっぱいなので先に平行手すりでかかと上げとスクワット、松葉杖でガレージを1周して戻ってから、マッサージと下半身の運動。
部屋に戻ると、すぐに入浴の時間ですと呼び出される。自主トレとリハビリ指導で出た汗を流す。風呂から戻ると昼食。
昼食後、うとうとしていると、男性看護師が皮膚科に行きますと呼びに来てくれた。車椅子を押してもらって診察室まで移動。前の患者の診察が終わるのを少し待って診察室に入る。皮膚科の先生も女性。
膨疹は少し引いていてかゆみも少ない。今はほとんど症状が無いのですがと説明し、少し赤くなっているところを見てもらう。
「蕁麻疹ですね、塗り薬と飲み薬を出しておきますので、様子を見ましょう。来週の火曜日にもう一度経過を見てみましょう」と診たては3分もかからずに終了。礼を言って自力で病室に戻る。
夕食後、看護士さんが病室の状況を確認しに来る。そのときに「皮膚科で処方してもらった薬はまだ貰ってませんよね」「はい、まだ貰ってません」という会話。
しばらくして、『ミントールレスタミン軟膏』という塗り薬と『アレロック錠』という内服剤を持ってきてくれた。ネットで調べてみると、どちらもステロイド剤では無いようなので使ってみる事にする。

2009年8月21日金曜日

20日締

朝のバイタル検査(体温と血圧)のときに他に変わりは無いですかという看護師さんの質問にいままで少し気にしていた軽い蕁麻疹のことを話してみる。
視力にしても蕁麻疹にしてもせっかく病院に居るのだからこの際見てもらっておこうという気になっている。症状を看護師に見てもらうと、「そしたら皮膚科の予約を取っておきましょう」という話になった。
会社からのメールで20日締めのデータが送られてきた。午前中はそのデータを基に計算をして結果を送り返す作業を行なう。午後からは、9月初めのイベントに使用する文書を作成してそれをメールに添付して送りかえす。
左肩が痛いので、作業療法士が作ってくれた上半身の自主トレメニューは今日は休みにする。
そうこうしている内に午後3時を回る。
火曜日から担当してくれている理学療法士のI先生が呼びに来る。
マッサージとベッドに寝たままの下肢の運動、並行手すりでのスクワットとかかと上げ。その後松葉杖で歩行訓練。きょうも病棟の外に出てガレージを1周する。
担当の理学療法士が明日から1週間リフレッシュ休暇を取るので、交代の理学療法士に担当して舞う事になります、とのこと。
誰になるか、リハビリ指導の時間はいつになるかは今日の夕方までに決まるので、決まったらお知らせしますという話だった。
5時半の夕食が済ませて病室に戻ったところに担当理学療法士のI先生がやってきて明日からの交代の先生と時間帯を知らせてくれた。
もちろん普通の生活よりも強度も精神的緊張も緩いのだけれど入院してても結構忙しく一日が過ぎる。

2009年8月20日木曜日

松葉杖でガレージ1周

午後の予定の作業療法士のリハビリ指導が午前中に変更。予定していた別の人の機嫌がよくないので後回しにしたということらしい。
上半身の運動。メニューを3セット。訓練の方法を絵に書いてもらう。明日からはこれを見て自主トレーニングを行ってくださいということ。
終了後、入浴タイム。
そのあと、昼食、と午前のスケージュールが続く。
午後3時ごろから理学療法士の指導。マッサージ、運動、松葉杖。松葉杖で外に出て、病院の外来ガレージを1周。暑さと運動で汗が出る。この後に風呂に入りたいけれども、風呂場のスケジュールが決まっているので叶わない。
会社に送るメールの作成。
招待してもらったMIXIの登録で夕食の時間を迎える。

2009年8月19日水曜日

退院の見通しはまだ遠い

午前中、理学療法士のリハビリ指導。
午後、眼科の外来に連れて行ってもらう。眼鏡の処方箋を出してもらう。度数は今の眼鏡でもそそこでているとのことで度数は変わらず。右目にも乱視を入れると見やすくなるので、左右ともに乱視矯正のレンズの処方箋を受け取る。
眼科から戻ると作業療法士のリハビリ指導。上半身の体幹の筋肉が衰えないようバランスをとりながら腕を中心とした運動の指導を受ける。うっすら汗が滲む。
訓練の後、退院までのスケジュールの概要を聞かされる。10月末に右足全荷重の状態で退院との話。ただし、骨癒合の状況によっては前後する場合もあるとのこと。そんなに長くかかるのかというのが実感。
そんなに入院していたら社会復帰できるのだろうかと不安がよぎる。
夕食後、整形外科の部長回診。「足、どれくらい曲がりますか」と質問を受けたので実際に足を曲げてみる。「いいですね。その調子でがんばってください」と15秒ほどで部長回診は終了。

2009年8月18日火曜日

浴槽

昼食が済ませてから夕方予定のリハビリまで時間があったのでベッドの上で腹筋運動をする。50回。
そのあと、ベッドに横になったら眠ってしまった。
今からリハビリをしますと、新しい担当の理学療法士が呼びに来てくれて目を覚ます。
リハビリ室で膝の曲がる角度や、足の太さを測ってもらう。膝上の太さは左右で1センチ右のほうが細い。意外な事にふくらはぎのほうが2センチの差が出ている。立っているだけでもふくらはぎの筋肉というのはよく使うそうで、免荷状態が3週間続く間にそれだけ筋肉が落ちてきているとの事。
マッサージ、少しの負荷をかけた運動、松葉杖の歩行訓練とメニューをこなす。
部屋に戻ると、ちょうど入浴の時間。看護師が呼びに来てくれる。
病棟フロアの真ん中にある風呂場に車椅子で向かう。脱衣場で全裸になり、風呂用の車椅子に移動。介助してくれるヘルパーさんが押して風呂場の中に運んでくれる。
シャンプー、石鹸で全身を洗う。洗い終えたところでヘルパーさんが風呂場用の車椅子を浴槽の横に着けてくれる。右足を着かないように浴槽に移動して体を沈める。全身を湯船につけるのは24日ぶり。
作業療法士の指導は今日も休み。

2009年8月17日月曜日

松葉杖でプチ外出

週明け。
会社からのメールがたくさん届く。連休明け、月末前の確認事項。健康保険の保険証切替方法の確認。車両保険の使用について。などなど。
その返事のメールを書いているうちに午前中の時間はみるみる過ぎていく。
11時。土曜日に、お世話になりましたありがとうございましたと過去形の挨拶をしたばかりの理学療法士のM先生が病室に登場。新しく担当になった理学療法士と作業療法士は今日まで休みのため代行でリハビリ指導を行ってくれるとの事。
リハビリセンターに向かい、右足のストレッチ。足を上下に持ち上げる運動はなんとかこなせるものの、左右に開いたり、横向けに寝転んで右足を上げる運動は痛みが伴って苦しい。左片足のスクワットとかかと立ちを30回2セットのあと、松葉杖での歩行訓練。
リハビリ室を2周回ったところで「外に出てみましょうか?」とM先生。松葉杖をついて建物の外に。暑い。建物の外に出て、しばらく壁伝いに歩く。壁際にベンチが並べられてある。
「すわりましょう」とM先生。
並んで腰掛ける。
自転車の話、ウェアの話。自転車の値段や独特のウェアやヘルメット姿には違和感を感じるという、ドロップハンドルの自転車は競輪専用に使うと思ってたという、M先生のママチャリ通勤経路でのほんのわずかな傾斜がきついという、そんな話。若くて美しいM先生の笑顔がまぶしい。しばらくそんな取り留めの無い話をして「さあ、もどりましょう」といわれて名残惜しく立ち上がって差し出された松葉杖に体を預ける。ベンチと駐車場の間に植え込まれた木立の木漏れ日が足元と杖の間できらきらと輝く。
昼食後もメールの返事を書く。添付ファイルを作成する。そうして時間が過ぎていった。
夕食後、担当の看護師から呼び止められる。あしたお風呂に入る日で、リハビリ病棟の風呂は初めてなので私も立ち会いますとのこと。看護師に裸を見られることにすっかり抵抗はなくなっている。
久しぶりの夕焼けを見ながら、メールの送信ボタンを押したのがまだ夕方の7時前。

2009年8月16日日曜日

リハビリ病棟2日目

日曜日。
回復期リハビリ病棟に転棟して2日目。
新しく担当となった理学療法士も作業療法士も休日との事で、今日のリハビリ訓練はお休み。
コンビニへの買出しと読書で一日を過ごす。
回復期リハビリ病棟といっても、回復治癒に向かう患者は少数であることがわかった。大半の患者は障害が固定して、車椅子や松葉杖での移動、体位を固定するコルセットを装着したままでの生活を病院から離れた日常生活でも支障なく行えるように訓練しているのが、回復期リハビリ病棟。
昼食の時に、食堂で向かい合わせになった患者に症状を尋ねられた。大腿骨の骨折とチタンのキュンチャー髄内釘手術をしたと答えると「そうか、ひにち薬やな」と返ってた。その患者は右手が動かないようでスプーンを左手に持ってたどたどしく食事を取っている。病状について質問する事はなんとなく気の毒で申し訳ないような気がしてはばかられた。
回復期リハビリといっても、回復して元に戻るというわけではなく、大半の患者は症状が固定して、その固定した症状を受け入れての生活を確立するための訓練の場としてあるらしいことがわかった。

2009年8月15日土曜日

転棟

終戦記念日。
朝食の後、引越しのため病院が用意してくれた紙袋に荷物を詰める。紙袋6枚ほどを要する。
執刀医のT先生の回診。昨日撮影したレントゲン写真を見せてもらう。まだ骨癒合はほとんど進んでおらず、術後4週目の診断までは荷重をかけてはいけないとのこと。


隣のベッドで人工腎臓と脊椎手術の治療をしていたT本さんが今日退院するらしい。これから透析にいって、戻ってくるのは2時を過ぎるので、そのときにはもう転棟して会えないからと挨拶を交わす。重病で完全回復の見込みのないT本さんの横でまた自転車に乗れることを願っていると看護師に話していたけれど、腰椎のブロックを2つ抜いて歩くことも儘ならず週3回の透析を続けなければならないT本さんは、そんな会話をどういう風に聞いていただろうと思って看護師にその話をするのはやめたけれど、看護学生はそういう遠慮をせずに今日も「早く自転車に乗れるようになるといいですね」と励ましてくれる。学生に悪意は無いけれど、回復の見込みのない患者の横でそういう話はどうかなと思うのは神経質すぎるか?
T本さんが透析に出かけた後、うつらうつら午前の時間を過ごす。
11時ごろに理学療法士のM先生が呼びに来る。病棟が変わると、担当の理学療法士も変わるとの事で今日が最後になりますとのこと。右足のストレッチ、右足の可動域を拡大するための運動、左足のバランススクワットと踵立ち、松葉杖の歩行訓練。じんわり汗が出る。
リハビリセンターから戻ってきたら、ちょうど正午、家内と娘が病室に居た。洗濯物の引換に来て、これから実家の父の見舞いに行き、夕方また戻るという。
正午から30分間の入浴の予約がしてあったので、シャワールームへ。看護学生の介助を受けながら脱衣。昨日に引き続き全身をシャンプーと石鹸で洗い流す。直前のリハビリの汗を流す。
シャワー室から戻ると看護学生が昼食を暖めなおしてくれると一旦配膳を引き上げる。その間、今日の担当看護師が引き出しに忘れ物が無いかのチェック。主任看護師が、風呂上りの擦過傷のシールに異常が無いかどうかを確認。少し痒かったので無意識に強くこすってしまったけれど特に異常なしとのこと。
昼食を済ませて、新聞を流し読み。
1時20分にリハビリセンターへ向かう。
作業療法士のY先生も今日で担当を外れますとあいさつ。握力グリップやダンベルやゴムチューブを使った連日の上半身の運動、片足立ちで床の筒にボールの乗せる運動をこなしている内に転棟予定時刻の2時を少し過ぎる。
病室に戻ると袋にまとめた荷物はワゴンの上に乗せられていた。靴をスリッパに履き替え、回復期リハビリ病棟へ移動。
今まで、救急搬送から手術、そして入浴ができるまでの3週間、献身的な看護をしてくれた急性期病棟の詰所でお礼の挨拶。先ほどシールの点検をしてくれた看護主任も部屋の奥から出てきてくれて激励してくれた。
車椅子でリハビリ病棟に移動。新しい部屋は4人部屋。西向きに大きく開いたガラス窓のゆったりと明るい部屋。その窓際のベッドに案内される。京都東インターから出てくる車の列、国道1号線や西大津バイパスに向かう車の列がよく見える。
新しい病棟の看護師にフロアの案内をしてもらう。トイレ、風呂、休憩所、看護師詰所。休憩所は食堂にもなるところで、これまでは病室のベッドのオーバーテーブルか、ベッドの横にあるラックの引き出しテーブルで食べていたけれども、自立訓練の意味もあって食堂で食事をすることになるということ。
紙袋の荷物を降ろし袋から着替えやタオル、そのほかの荷物をベッドの横の棚に移動。
夕方、新しく担当となる理学療法士と作業療法士が挨拶に来る。自立の度合いを見るためベッドから車椅子への移動、トイレでの動作を確認したいとのこと。
ベッドから車椅子への移動も、車椅子から便座への移動も普通よりも離れた場所から行っているらしく、「強引ですね」とからかわれる。
移動するときのベッドと車椅子の位置関係、車椅子と便座との位置関係で楽なポジションはこうですからと教えてもらう。
楽に移動できるポジションは確かにあまり意識をしたことは無かったけれど、強引と言われたのは意外だった。
事故の経緯や、これまでのリハビリ記録からも「強引な性格」という評価がついていたらしく、それを確認できましたという。意外だけれど、客観的にはそうなのかもしれない。「反省します」と素直に受入れた。
その二人ともが日曜日と月曜日は休みになるということなので、日曜日のリハビリは休み、月曜日のリハビリは今日、「お世話になりました」と挨拶した理学療法士が代理を勤めるとの事。
夕方、家内と娘が再来。洗濯物を置いていく。娘の修士論文のテーマを初めて聞く。
5時半、看護師が呼びに来てくれる。5時過ぎに配膳は済むので、明日からは自分で時間を見計らってきて欲しいとのこと。
8人掛けのテーブルのいちばん端が指定席となっていた。挨拶をして食事を始める。
食後、ベッドに戻り、コンビニで購入したチーズとヨーグルトと牛乳。
右足に荷重をかけられるようになるまで、全身の運動能力が衰えないようこの部屋を拠点にリハビリが続く。

2009年8月14日金曜日

3週間ぶりの風呂(シャワー)

朝食後、レントゲンの撮影。
手術痕の傷のガーゼが取れた。風呂(シャワー)解禁。
10時半から40分ほどストレッチ。折れた足のマッサージもしてくれた。弱い力でほぐしてくれるのが効いてる気がする。
昼食。病院の給食だけでは足りないので、地下のコンビニで購入したヨーグルトとチーズと牛乳をプラス。
午後から上半身の強化の筋トレリハビリ。ダンベルは1キロ重くなった。
夕方4時半から30分間の入浴タイム。看護学生と担当教官が介助してくれる。全裸になって風呂場に入り椅子に座るところまで見届けられる。
シャワーを浴びる。この3週間、頭はシャンプーで洗ってもらってはいたけれど、体は蒸しタオルで拭うだけしかできなかったので、なんとも爽快。少し温度高めのお湯で全身を洗い流す。傷口はあまりこすらないように注意しながら全身に石鹸を泡立てる。
全裸のまま脱衣場に導かれ、下着とパジャマを介助を受けながら着替える。
冷房のよく効いた廊下に出ると涼しさが気持ちよい。
3週間ぶりの入浴。
病室に戻り、擦過傷のシールを看護師に貼り替えてもらう。
張り替えてもらっている途中に師長がやってきて、あした、部屋を移動する事になったと部屋番号を書いたメモを持ってきた。
回復リハビリ病棟への移動とのこと。
窓際の明るい場所だといいのにと思う。

2009年8月13日木曜日

抜糸

昨日の予告通り執刀医のT先生が午前中に回診。
シールしてあった3箇所の手術の傷跡、合計12針の縫合糸を抜糸。
少しチクリと痛みはあったものの、無事糸が抜ける。
消毒をして、ガーゼで保護。明日には、このガーゼも取りましょう。ガーゼが取れたらお風呂も入れるでしょうとのこと。
午後からリハビリ。上半身の筋肉トレーニング。
終了後、夕方までウトウト。
夕方、リハビリ。ストレッチと折れたほうの足の筋トレ。松葉杖の歩行訓練。
夕食後、文芸春秋9月号掲載の「終の住処」を読み終える。

2009年8月12日水曜日

昼食をはさんでリハビリ

朝、会社からのメールを確認しているところに、執刀医のT先生が回診。手術をした傷口の様子を確認、明日にでも抜糸をしましょうかという話。
地下のコンビニでヨーグルトと牛乳と雑誌を購入。
戻ってくるとM理学療法士が探していた模様。夕方に行っていたストレッチや松葉杖での歩行訓練のリハビリが昼食前に実施するとの事で理学療法士のMさんが病室まで呼びにくる。リハビリ室では充分に確認できないということで、病室の仕切りのカーテンを閉め切って傷口の状態確認や筋肉の腫れ具合の触診。
リハビリ室に移動して、ストレッチ、左足の運動、右足での片足スクワットにかかと上げ、松葉杖での歩行訓練と定番メニューが続く。
正午過ぎ、リハビリ1ラウンド終了。
病室に戻ると昼食の配膳が済んでいた。
イヤホンでテレビを視聴しながら昼食。
午後1時半に再びリハビリ室に移動。
ダンベルやゴムチューブを使った腕の運動。小さなサッカーボールのデザインのボールを床に置いたプラスティックの筒に乗せる作業はスクワットと同じ効果。右足はまだ体重が掛けられないので左足を床について曲げないと、床においてある筒に巧くボールの乗せることが出来ない。ボールは重心が不安定で筒の上にうまく乗るにはボールのバランスが取れる場所におかなくてはならないが、これに時間がかかる。そのあいだ曲げたままの左足には結構な負荷がかかり続ける。
ボール4個を置き終わると、今度はボールのかわりにお手玉。お手玉は形が変わるので筒の上にも乗せやすい。短い時間で置くことができるので左足にかかる負荷も少ない。
午後からのリハビリはこれで終了。
その後はコンビニで買ってきた雑誌をぱらぱらと読んで時間を過ごす。

2009年8月11日火曜日

不在者投票の申し込み用紙を受け取る

昨日と同じようなスケジュールの一日。
午前中に看護学生のシャンプー。
病院食は物足りないので地下のコンビニでおにぎりを1個買ってきて昼食に追加。
午後から上肢の筋力トレーニングを中心としたリハビリ。
看護学生の体拭き。足の裏や甲も今日は別のバケツで念入りに洗ってくれた。
会社から来たメールの回答。送ってきたデータの処理とエクセルに落としたデータの返送。
夕方のリハビリはストレッチを念入りにしてもらって、軽くマッサージもしてもらった。
夕食、地震と雨と酒井法子の報道が繰り返されるテレビを見ているところに、携帯電話が新しい機種になって戻ってきた。第2世代が使えなくなるので今キャンペーン中とのこと。
7時過ぎに会社に電話連絡。いくつかの質問に答える。機密データの送付方法について打ち合わせ。休んだ期間を欠勤にして傷病手当を受けるつもりだったけれど、切りの良いところまで有給休暇を使ってもいいという許可ももらえた。
携帯電話は病室では使えない決まりになっていて、談話室まで行かないといけない。6人部屋に5人入っている。そのうちの1人は病室のベッドの上で傍若無人に携帯電話を使っているけれどマナーは守ってほしいものだ。
談話室から部屋に戻ってくる途中に看護士長が探していたらしく呼び止められる。
衆議院選挙の不在者投票を病院内で出来るのでその申し込み用紙を配布しながら説明に回っていたらしい。
廊下で説明を受け、申し込み用紙を受け取る。
投票日は8月の末なので、少なくともそれまでは病院の中に居る事になる見通しらしい。
退院の日程見込みはまだ立たず。
そのあと、携帯電話の取扱説明書を仰向けになって通読。
ポケベル方式の文字入力の機能がなくなっているみたい。
携帯メールの機能や入力方法が変わったので慣れるまでに少し時間がかかるかもしれない。

2009年8月10日月曜日

午後からリハビリ2ラウンド

大雨で作用川が氾濫し犠牲者が大勢出ているという報道。
酒井法子の覚醒剤事件。
普段あまり見ないテレビは繰り返し同じニュースを流している。

夕べ寝るまでに「案純な脳、複雑な「私」」を読み終えた。
自由意志というのは、行動の事後的に認識される観念で、意志の前に脳は行動を準備している、錯視と同じように時間の経過の感覚も脳は錯誤をもたらすようになっている、自由というのは事後的に納得すれば自由、行動を停止する意志しかもちあわせていない、、
といった話が印象に残った。
ここでの自由は身体制御における自由と必然の関係で、人間的自由という場合は社会関係が絡んでくるから、事後的に認識される観念といえるのかどうか。そんなことを考えさせられた。

昼食後うつらうつらしてたら男性の理学療法士が呼びにきた。
リハビリセンターに移動して、ダンベルやゴムチューブを使って上半身の筋肉を鍛える運動。ベッドの上でじっとしていることの多い入院生活2週間が経過し、体中の筋力は大幅に落ちている。
こんなことがと思う運動がけっこうきつい。
右足のスクワットとかかと上げの運動も行って一旦終了。

夕方4時過ぎに女性の理学療法士が呼びにきた。
再びリハビリセンターに移動。
骨折して手術したてあちこち硬くなった右足のストレッチ。ベッドに寝転んだで、足を伸ばしたまま右足を上げたり、左右に動かす運動を行う。手術で切った痕の筋肉や傷口が痛むので思うように動かせない。
平行手すりでの移動。スクワット。かかと上げ。底の丸くなった台の上に乗ってバランス。そのバランスをとりながらのスクワット。
少し汗ばむ。
明日からは1時半になったら呼ばれなくてもリハビリセンターに来てほしいとのこと。
それと夕方。
これから毎日、2ラウンドのリハビリが続くとのこと。

2009年8月9日日曜日

膝を曲げられる角度は130度

日曜日は看護学生の実習も休みなのでのんびり出来た。図書館で借りてきた本を読み進める。
「単純な脳、複雑な「私」」
午前中に本職の看護士にシャンプーをしてもらう。
車椅子に座ったまま洗面台の前で前かがみになって自分で頭を洗うこともできないこともないけれど、折角のサービスなので洗ってもらう。
昼食後うつらうつら。
執刀したT先生の回診があるというので本を読み進めながら待っていた。
膝を曲げるための機械があるそうでその装着をするということを看護士さんが言っていた。
夕方T先生がベッドまで回診。
金曜日に撮影したレントゲン写真も持ってきてくれた。


まだ新しい骨が出来てきている状態ではなく、しばらくは右足に体重を掛けないようにしましょうねとのこと。
膝の曲がり具合を測定。130度曲がっているとのこと。
よく曲がっているので機械の装着はどうするかもう一度検討しますということだった。
夕食の後、看護士さんがきて、機械の装着を明日しますと言い残していった。
そんな機械なのかはいまのところ不明。

2009年8月8日土曜日

熱気からは隔離された夏

手術した右足の痛みで夜熟睡できないため、午前中は眠たい。
今日も看護学生のシャンプー実習の練習台になって午後は終了。
午後からリハビリがあるというので本を読みながら待機。
理学療法士が呼びにきたのは午後4時。
ゆうべ届くはずと思っていたパジャマがまだ届かないので、病院で借りている入院着とはだける太ももを隠すためのタオルを持ってリハビリセンターに向かう。
「外は暑いですよ」と理学療法士。ずっと快適な温度に管理された病棟の中に居るので、体温調節機能も劣化してると思うけど「ちょっと外に出てみたいです」といってみる。「訓練がおわったらちょっと出てみましょうか」といってくれる。
腿の関節も、膝の関節も昨日よりさらによく曲がるようになってきている。ベッドに寝たまま折れた右足の屈伸運動や横に持ち上げる運動を繰り返す。やはりまだ、腫れや内出血、そして萎縮した筋肉が痛い。
平行手すりに移動して右足のスクワットとかかと上げ、それぞれ20回3セット。かかと上げがきのうよりきつく感じる。
手すりにつかまりながら左足だけを着地させて歩く練習。これは楽で負荷も少ない。10往復を難なくこなす。
松葉杖での歩行練習。リハビリセンターの中を周回。はじめは少し杖が長すぎて杖を前に移動するときに床に引っかかる。杖の長さを調節するロックピンを1段短くしてもらってさらに周回。取扱がだいぶ楽になる。
5週ほど回る。うっすら額に汗が滲む。運動不足のせいもあるが、腕には結構負担がかかる。
駅から会社まで、バス停から自宅まで、それぞれの距離を松葉杖で歩くのは結構負荷がかかる事になるなと想像しながら、本日のリハビリメニューは終了。
リハビリテーション総合実施計画書というシートを見せてもらいながら、リハビリの現状と今後の計画について簡単な説明を受ける。重篤で障害の残るようなレベルではないので記載されている内容は深刻なものではない。
「本人の希望」を記載する欄があり、「なにかありますか?」と聞かれたがどんなことを答えていいかわからず「さあ、特に」と答えたら「『早く自転車に乗りたい』って書いときますね」と笑顔でそのまま書いてくれてサインをくださいというので本人サイン欄に署名して控えをもらった。
「このまま自力で病室まで戻れますか」ときかれたので「はい」と答え礼を言って、リハビリセンターを退出。
時間は午後5時になっていた。外に出てみましょうかという提案は、時間の都合か、忘れられたのか、実施されなかった。
病室までの廊下でたまたま自動ドアの開いた横を通ったときに外の熱気が流れ込んでくるのを感じた。
外に出るのはやめておいたほうがよかったとその熱気を感じて思った。

2009年8月7日金曜日

モデル、実習台、そしてリハビリ

手術後1週間経過。午前中にレントゲン写真のモデル2ポーズの撮影会。放射線管理区域なのでギャラリーはなし。
その後看護実習生のシャンプーモデルと午前中はモデル業。
午後からウツラウツラしてたらベッドの脚をキャスター付きのものから固定のものに交換してくれた。寝床の高さが少し低くなったので車椅子への移動もその分楽になった。
そのあとまたウツラウツラしてたら看護実習生の体拭きの練習台。
それが終わってウツラウツラしてたらリハビリの呼び出し。
左足の片足スクワット20回を3セット、爪先立ち20回を3セットなど段々負荷が強くなってきた。とはいえ運動量はとても少ない。
右足にはまだ体重はかけられないけれど筋肉を引っ張る運動を行う。その負荷も強くなって来ている。

2009年8月6日木曜日

左大腿部裂傷縫合抜糸

コンクリートブロックに激突したときに出来た左足大腿部の裂傷、救急車で搬送されてERで縫合処置を受けた処の抜糸。下肢の擦過傷も順調に皮膚が再生してきてるとの事。事故から13日目。
両親と妹、その末娘が見舞いに来てくれた。地下のコンビニでサンドイッチやジュースや牛乳を買ってくれる。車椅子でついて行く。
妹がコセキサイクリングセンターのパーツカタログを持ってきてくれた。妹の旦那の趣味はモーターバイクだけれどマウンテンバイクも持っているとのこと。
持ってきたのは2007年版のパーツカタログ。暇つぶしに使ってくれという。ぱらぱらとめくってみる。ホイールが欲しいと思う。でも、まずは怪我を治してからのこと。
午後2時からリハビリセンター。担当の女性理学療法士は本日休みのため、初日に顔合わせした男性理学療法士が交代で訓練指導。負荷をかけた足の運動。並行手すりでの右足や右足首の屈伸運動。約40分の訓練。筋力は相当弱っていると思われる。
車椅子への移動は介助を受けずに自力で出来るようになっている。

2009年8月5日水曜日

リハビリセンター

夕べは発熱の上、ずっとベッドに接地しているお尻の痛みと、足の痛みとのトレードオフに悩まされてよく眠れなかった。足の痛みを和らげようと楽な姿勢をとるとそれは限られた範囲の姿勢で、床ずれにもなりそうなくらいにお尻の一部分にだけ負担がかかる。そのお尻の負担を軽減しようと体を横向けにすると、手術をした足の腫れた筋肉や内出血している部分が突っ張って痛む。
どちらかを耐えないといけない。
そんなわけで、朝は顔拭きのタオルを目が覚めて待ち構えているのに、朝食が配膳される頃になってようやく目が覚めた。
朝食後もうつらうつらする時間が続く。
隣接する看護学校の看護学生が実習のためということで担当につく事になった。暇なのか何かと世話を焼いてくれようとする。
昼食前に車椅子に移動して洗面所へ。リクライニング式になっている車椅子を倒して、看護学生がシャンプーの実習。これまで2回、ベッドで限られた水量でのシャンプーだけだったのに比べると、水量を気にしなくてよいシャワーでの洗髪は気持ちよくさっぱりとなった。
午後の3時過ぎになってから理学療法士が来てくれる。
今日は車椅子に移動して、リハビリセンターに移動。
ちょっとしたジムのような感じもするが、やはりリハビリのための施設。
歩行練習のための手すりや、運動するためのベッド、サイクルマシンも目に入る。サイクルマシンを指差してあれに乗りたいですと言ってみる。やはりまだだめですといわれる。
ベッドで足の曲がる角度の計測。
腿が上がる角度、膝が曲がる角度ともに昨日は60度だったのが今日は75度まで曲がるようになっている。
そのあと、ベッドに横たわったまま負荷をかけながら足を動かす訓練。
負荷といっても通常ならほとんど抵抗にならないほどの力と思われるけれども痛みに耐えながらなのでなかなか大変。
そのあと並行に渡された手すりにつかまって片足で歩く練習、そして、松葉杖を使って歩く練習まで進んだ。
まだ、単独での車椅子の移動は許可をされていない。移動するときはナースコールをならして介助を受けながら車椅子に乗ることと規制されている。
今日はここまでと言われたときはまだ物足りない気がしたけれどまた熱が出てもいけないので素直にリハビリ終了に従う。

2009年8月4日火曜日

リハビリ疲れで発熱?

今日のリハビリは昼食前の午前中。
昨日と同じく曲がる角度の計測をしたあと足に力を入れて動かすトレーニング。
トレーニングといっても足の曲げ延ばしや足首の上下運動を右足は10回1セット。
左足は20回1セット。
そのあと車椅子に移動。
昨日よりも介助の度合いが少なくても移動できるようになった。
トイレまで行って便器に座ってみるところも手伝ってもらいながら練習。
障害者用のトイレに付いているパイプの意味がよくわかった。
トイレの中で患者と理学療法士と看護婦の3人で頑張ってた。
実際に用をたすことはなかった。
そのあと部屋に戻って昼ご飯。
食後、トイレにいきたくなったので車椅子を手繰り寄せて一人で乗ってみた。
何とか乗れたのでトイレに向かったところで看護婦さんに発見されて「まだ危ないので一人では乗らないでください、乗るときは手伝いますのでナースコールを鳴らしてください」と怒られた。
一人で車輪を回して行きたかったけれど看護婦さんが後ろから押してくるし、曲がり角もコントールされるので面白くない。
便器に座ったけど便意は無くなってしまいそのままベッドに戻ることに。
トイレの外には車椅子2台が渋滞して順番待ちをしてた。
看護婦さんに手伝ってもらってベッドに戻ったところに社長と奥さんが見舞いに来てくれた。
見舞いと仕事ももってきた。
午後からいくつかの仕事の宿題を片付けて夕方から鶴見慎吾がイタリアのロードレースに挑戦するドキュメンタリ番組を見てた。
まださらのままハンガーに吊してあるのと同じLEGONのジャージでピナレロの自転車でがんばっている姿が映し出されていた。
その自転車140万円とのこと。
自分が手に入れられるわけではないけれどその金額を聞いてもそれほど驚かなくなって来ている。
そのあと会社からのメールがきてないかチェックして2通ほど返事を書いた。
早い夕食。
なんか疲れて熱っぽい。
周りからはすでにいびきも聞こえてきてる。
ナースコールを鳴らして検温してもらう。
37.5℃。
氷枕を用意してもらう。

2009年8月3日月曜日

リハビリはじめの一歩

午後から理学療法士の若い女の先生がやってきてリハビリ訓練が始まった。
始めに脚の長さや太さをメジャーをつかって測定。
折れた右足の膝の上の太さは左足より2センチ太い。
そのあとそれぞれの足の可動域がどれくらいか実際に動かしてみた。
なかなか厳しい。
筋肉が突っ張って動くかせる角度が小さい。
右足を延ばしたままでは45度の角度までしか上がらなかった。
元々体は硬い方ですとは言わなかった。
そのあとベッドから降りて車椅子に乗ることに挑戦。
介助を受けながら車椅子に移動することに成功。
右足が充分曲がって足置きに乗せることが出来ないので膝の後にクッションをあてがって力を入れなくてもいいようにしてもらった。
久しぶりに上半身だけやけど真っ直ぐに立ち上がった。
カーテンを動かしてみたら窓の外の景色が見えて緑の山肌と青い空が見えた。
車椅子を動かすことは今日はしなかった。
車椅子に座っている間に看護婦さんに敷布団のシーツを替えてもらった。
理学療法士の先生は看護婦さんにベッドへの戻り方の指示をして次の患者のところへ移動。
シーツの交換が終わったところで看護婦さんの介助を受けながらベッドに戻った。
健康な人間の体は体全体の力を見事なバランスと力の配分で動かしているのだと実感した。

2009年8月2日日曜日

反省

昼過ぎに妹の旦那が見舞いに来てくれた。何度も何度も命に別状が無くてよかったと慰めてくれた。

他人を巻き込む事故にならなかったのがとにかく良かった。
それと命に別状が無かったこと、怪我も重傷で後遺症も多少は心配だけれども、重度の障碍になることはなさそうなこと。
峠を登りきったところでは、休憩を取り、水分補給を行い、心拍数を確認し、意識がはっきりしていることを確認しないといけない。
テクニックが伴っていないのだから、下り坂では、スピードを抑え目にゆっくり降りないといけない。
自転車でのカーブはリーンアウトが基本だそうだ。
そんなことも知らなかった無知。
自転車に乗れるようになったら気をつけよう。
その前に車椅子。

2009年8月1日土曜日

リハビリ開始

両親が見舞いに来てくれた。
ホスピスへの入所を予定している父親は急速にやつれてきている。
お盆の五山の送り火の観光客相手の仕事を最後に引退するといっている。「もう、やめとき」と言ってみる。
昨日の手術を受けて、今日からリハビリを開始の予定。
担当のリハビリの先生が休みだそうで、代理の先生が来る。
車椅子に移動することをまず目標にしましょうということだったけれども、足が動かず断念。
あまり無理しないで、ぼちぼち行きましょうと慰められる。
日曜日はリハビリは休みで、月曜日より再開予定。