2009年9月29日火曜日

退院

夕方、退院。
ナースステーションに挨拶にいったけれども勤務交代直後で夜勤体勢が始まったばかりの時間帯になっていまい、担当してもらった看護師の多くが不在だった。
それでも看護助手の皆さんも含めてエレベーターの前まで見送ってもらった。
怪我をした直後の最も大変だった時に世話になった急性期病棟にも挨拶に行ったが同じく看護師さんは少なくかった。たまたま師長には会えたのでみなさんによろしくと伝える。松葉杖での歩行は雨に濡れた路面とかでは滑るので注意してくださいねと最後の忠告を受ける。
帰り際、ショップに寄ってみる。注文した部品が明日届くので、届き次第作業を開始して、完了したら連絡します、とのこと。
バリアフリーでない自宅は病院での生活より難儀が多い。それもリハビリ。

2009年9月28日月曜日

片松葉

2ヶ月と少しの入院生活もいよいよ最終日前日。
あしたの夕方、退院する事になった。

リハビリが終わってから療法士さんが、「今日から方松葉でOKと許可がでました」と伝えに来てくれた。

しばらくは週に1回ほど通院しながらの療養。
自転車にも少しは乗れそうで楽しみ。
ただし強い負荷のかかる坂道はまだ登ってはいけないといわれている。それから、行った先で自転車を降りて、松葉杖無しで歩くことが出来ないので、休憩のときも自転車から離れないで休憩できるコースを走らなければならない。
自転車に松葉杖をくくりつけて走るもの不様なので、遠出は全荷重が解除になってからの事になりそう。それまでは近場で往き帰りがループするコースで慣らしていかないといけない。
木津川CRの平坦なコースでの再デビューとなるか。
自転車の修理進捗はまだ不明。

2009年9月22日火曜日

修理見積。

洗顔から病室に戻ると
「水戸黄門と暴れん坊将軍を一緒の時間にやったらあかんわなあ、グハハハハ」
と言いながら車椅子で部屋から出ようとしているNさんとすれ違って始まった一日。

午前中にリハビリ。
いつものようにマッサージと右足の筋トレ。その後、松葉杖で歩行するときの右足の荷重確認。
エアロバイク30分。
療法士がメニューをセットしてくれて、ペダル回転スタート。療法士は他の患者のリハビリを始めるため病室に呼びに行くためリハビリセンターを離れる。
エアロバイクの表示板に、いつもは表示されない「COOL」の文字が表示されている。5分経ったところで大きな音でブザーが鳴る。トレーニング終了のブザー音。
どうやら設定が間違っていたらしい。クールダウンからスタートして終了してしまったらしい。
設定しなおそうとボタンを押してみるがどうもうまく設定できない。
仕方ないので、時間だけ30分に設定して後は適当なまま再スタート。
いつも表示される「WARM」の表示もされず、時間だけは経過していく。負荷も0.5kgのまま変わらない。ケイデンス90辺りで回し続ける。
負荷が軽いせいか心拍も120前後で安定している。
最後の5分間はケイデンス110辺りで回して、心拍が140を超える程度。
しっかり汗をかいて、5分間50回転ほどのゆっくり下ペダリングでダウン。
そのあとすぐに入浴。
食事。
午後から、外に出てみる。
空模様が少し心配だったが松葉杖をついて西に向かう。
30分ほど歩いてJRの駅前。
散髪屋の看板が目に入ったので散発をする事に。
短めに刈ってくださいというよくわからないオーダーをする。
「耳を出して刈上げまではしない程度でよろしいか?」
と理容師が訊くので
「それでいいです」
と答える。
仕上げも
「何か付けますか?」
「いいえ、いらないです」
「どんなわけ方をしましょうか?」
「適当でいいです」
ドライヤーで一応のセットはしてくれるけれども一風吹けばその努力は吹き飛ぶ。

本屋に寄って立ち読み。松葉杖を両脇に挟んでいるので平台の本は取りにくい。何冊かの本をぱらぱらとめくってみる。
雑誌コーナーに移動して自転車雑誌の表紙に目をやる。
2010年のモデルが発表されているらしい。
そのうちの1冊を棚から引き出したところで携帯のベルが鳴る。
本を戻して書店を出てショルダーポーチから携帯を取り出し、通話ボタンを押したところで受信音は消えてしまった。
病室は携帯電話の通話が禁止なのでマナーモードにしていたのを解除していなかった。
かかってきたのは電話番号だけが表示されている登録されていない固定電話。
留守電が入っているので聞いてみる。
金曜日に自転車を持ち込んだショップからのものだった。
修理の見積もりの件で電話した。また、後ほど電話します。
とのメッセージ。
すぐにその場で折り返し電話することも出来たが、先方から電話すると言っていることと、「フレームは使い物になりません」という悲劇的な内容の宣告なら聞くのを先延ばしにしたいという思いもあり病院に戻る事にする。
30分ほどかけて病室に戻る。
30分経過しても電話はかかってこない。
まもなく食事の時間も始まるのでこちらからかけてみる事にする。
取次ぎの店員にしばらく待たされて返ってきた答えはブレーキレバー、リアブレーキワイヤ、バーテープの交換、フロントホイールのブレの調整の金額。
どうやらフレームは無事だったようだ。
連休明けに部品を注文する事になるので出来上がりは10月の最初の週末辺りになるという。期日についてはいつも余裕をもって言ってるようなので9月末くらいには出来上がるのではないかと思う。

今日・明日は鈴鹿でイベント。参加される皆さんの活躍を期待。

2009年9月18日金曜日

キヨセサイクル

外出届をだして10時に病院を出る。
病院が運行している駅までのバスに乗り、地下鉄に乗り継いで、地下鉄の駅から家まで松葉杖をついてたどり着く。

2ヶ月弱ぶりに、自転車と対面。

ハンドルの左側のバーテープが破れて、ハンドルバーのステンレスにも傷がついている。左のブレーキバーはゆがんで動かなくなっており、交換が必要と思われる。左のブレーキバーにつながっているリアのデュアルピボットキャリパーブレーキ本体がホイールにくっついて動かなくなっている。後輪を外そうとしてもフレーキシューがひっかかって外れないので、アーレンキーでブレーキシューを緩めて取り出してから後輪のホイールを外す。サドルも縫い目のところに破れが少し入っている。足がぶつかって破れたものと思われる。
フレームには傷は見当たらない。

前輪と後輪とフレームを車の後部座席に積み込んで、購入したショップに持ち込む。
事故をしたことが恥ずかしくてちょっと躊躇したが、蔑むような気配は微塵も感じなかった。

事故の概略を説明し、修理が可能かどうか、点検を依頼。フレームの外観に異常は無くても歪みなどがあると使えない可能性もあるとの説明を受ける。
点検と修理見積もりを依頼して店を出る。何点かの部品の交換は仕方ないとしてもフレームさえ無事であってくれるよう祈る気持ち。

そのまま、車で実家に向かう。両親が昼食をおえたところだった。
まだ昼を食べてないというと母親がパック寿司を買ってきてくれたのでそれを食べた。
父親は今日も午前中車を走らせていたようす。
声にも力がなく衰えているのが判る。
この23日で廃業届けを出すということ。
「そうしい」と言う。
ぼくが15歳、中学3年生の受験のときに借金をして1階がガレージになっている家に建て替えて35年。
工事中、祖父母の家に寄寓する事になったが、受験生のぼくは家のすぐ近くにあった京都大学専門の私設の学生寮に便宜を図って入れてもらい中学校に通っていた。篤志家の医師が設置していた3畳ほどの学生寮の部屋にはベッドと机があるだけで、トイレも電話も共同のものだったが、いまやワンルームマンションなどに押されてか、その学生寮は今はなくなっている。
あれから35年続けていた個人タクシーの営業の廃業。
最後に使っていた営業用のプロパン燃料の車輌は京都の観光や送迎に47万キロを走ったそうだ。
もう使わないからと、エンジンオイルの缶とタイヤワックスのスプレーを持って帰れとトランクに入れてくれた。

午後3時に病院に戻ってリハビリを受けるつもりだったが、間に合いそうに無いので、帰る時間が遅れることとリハビリをキャンセルすることを伝える。

実家を出て、子供の頃、父親に自転車を買ってもらった店の前に車を止めて店の中をのぞいてみた。
平安神宮の北側、丸太町通りの北側に面する「キヨセサイクル」。
全面ガラス張りの店先は当時と同じだと思うが、記憶にあるより店が小さく感じたのは、子供だったぼくが小さかったかもしれない。当時はたくさんの種類の自転車が並んでいるワンダーランドのように思えていた。家のすぐ近くにあった、油まみれで商用車を修理している薄暗い自転車店とは全く違う明るい印象が爽やかだった。
サイクリングクラブの活動も盛んで、琵琶湖1周とかのイベントもあったように記憶してるが、まだ小さかったぼくは、その当時流行っていたセミドロップハンドルのついた子供用の自転車しかあてがってもらえず、サイクリングに参加するのはもう少し大きくなってからなと言われたことがある。

見覚えのある店主のオヤジさんが、白髪になって横じまのシャツを着て奥の作業場でママチャリを組み立てるのに忙しそうだったのと、松葉杖を突いた客が自転車店に来てもひやかしとしか思われないだろうというのとで店の中に入ることもなく、しばらく、ペニー・ファージングの置かれた店の外からガラス越しに店内を見ていた。

クロモリフレームの自転車を買うならこういう店で最適のフレームをあつらえて組んでもらうのもいいかもしれない。また、寄ってみようと思う。

車を自宅に戻す途中、パック寿司では少なかったために腹が減ったのと、久しぶりに外に出た刺激も手伝ってラーメン屋に寄り、ラーメンと餃子を注文した。
大盛ではなく並みのラーメンを注文したのだけれど、感じていた空腹よりも量が多かったため満腹になった。

自宅に車を置いて、病院に戻って来たのが午後4時。

看護師さんに戻ってきた報告と、理学療法士にキャンセルしたお詫び。
5時半の夕食までにはまだ少し時間があるけれどおなかは満腹。

ベッドに横になると居眠りをしてしまい、目が覚めたときには食事のはじまる時間は過ぎていて、患者の中では一番最後に食べ始める事になる。ラーメンと餃子がまだおなかに残っているため、食べるのも遅く、看護師さんが他の患者の食器を引き上げてしまう中最後まで残って冷めたミートボールの八宝菜を詰め込んだ。

2009年9月17日木曜日

仮骨

朝食前に地下のコンビニの横にある自動販売機に新聞を買いに行く。
病室に戻って見出しだけをざっと眺める。
鳩山内閣の組閣関連の記事で紙面は埋っている。
スポーツ欄。
阪神が逆転勝ちしている。

朝食が終わって、部屋に戻る。
歯磨きを終えたNさんも部屋に戻ってくる。
「きのうの試合、阪神勝ってましたね」
「おうおう、そやそや、逆転勝ちしよったらしい」
「よかったですね」
「おうおう、ゆんべは負けとったから腹が立って途中でテレビ消したんや」
「そうでしたか」
「さすが阪神、やるときはやりよるわ、グハハハハ」
昨夜はボロカスだった阪神タイガースも名誉回復。毀誉褒貶が激しい。

エアロバイクに行く前に執刀医のT先生が病室に来た。
11日に撮影したレントゲン写真をA4の紙に印刷したものと、ノートパソコンを持ってきてくれる。印刷したものではよくわからないが、パソコンの画像をズームアップしていくと、折れた部分の亀裂はまだつながっているわけではないけれど、その周囲にぼんやりとした影が出来てきているらしい。そういわれてみればそうもしれないという程度の影ではある。



「仮骨ができてきてます」
「かこつ?」
「ええ、仮の骨と書きます。仮骨ができてそれからだんだんともとの骨がつながってきます」
「そうですか」
「順調ですよ」
そういってもらった。
退院の日程についても相談。
9月末に退院して、その後は通院しながらリハビリということでよいでしょう、という結論。

木曜日は風呂の日なので、風呂の前にエアロバイク。
1.5kgのペダル負荷で30分。
エアロバイクに付属の心拍計のセンサーを耳たぶにつける。
ケイデンス70rpmくらいで回していたが20分経過した時点で心拍が150を超えてブザーがリハビリセンターに響き渡る。
耳たぶのセンサーを外してペダルを回し続ける。
担当の理学療法士は別の患者の指導をしている。
30分経過して汗だくになってリハビリセンターを退出。
病院の周りを少し散歩。
秋の風が心地よく汗を乾かしてくれる。といって体が冷えるほどのことでもない。


散歩から戻ると昼食。
昼食の後、午後からのリハビリが始まるまで昼寝。

午後からは軽くマッサージと腹筋の筋トレ。
松葉杖歩行での右足の荷重確認。


リハビリ訓練が終わってから、病院の東側の道路を散歩。

2009年9月16日水曜日

毎週水曜日は総回診

午前中、会社に送る資料の作成。

午後からリハビリ。
右足の筋トレメニュー。
松葉杖での歩行訓練。1/2荷重の感覚もかなり慣れてきた。踏み込むときの衝撃が30kgをオーバーするのも理学療法士に注意される。
病棟内を移動するときは荷重をあまり気にしてないので1/2を超えていると思われる。
それほど、神経質になる必要もないということかもしれない。
エアロバイク30分。
ペダル抵抗を1.5kgに増やしてみる。
ケイデンス80で140ワットの出力。
ペダル抵抗1kgのときよりたくさんの汗が出る。
自前のハートレイトモニタはセンサーの電池が切れたようで、昨日からMAX90くらいしか表示しなくなったのできょうは付けていない。
エアロバイクのケイデンスも150を超えるとうるさいので付けずにペダルを回したので今日の心拍数の状況は不明。

リハビリの後、着替えて病院の外を散歩。
2台のロードバイクが大津から蹴上方面に向かって坂道を下っていくのを見送る。
フリーホイールの音が聞こえたときにはもう追い越されて車体やジャージがどんなものだったかもよくわからない。

夕方、整形外科部長の総回診。
病室の中を松葉杖を使って少し歩いてみる。
その調子でリハビリがんばってください。の一言で回診は終了。

回診が終わってから、向かいのベッドの父親と同い年の患者が話しかけてくる。
おとといも聞かれた病状のことと、年齢のことを答える。
話題は突然、阪神巨人戦に
「阪神まけよったわ」
「ああそうですか。残念でしたね。3位にはなれそうでしょうかね」
「あかんあかん、金本が4番を打ってるようではあきまへん」
「へえ、そうなんですか」
「ホームランの数が他のチームの4番に比べて極端に少ない」
「そうなんですか、ベテランやから扱いにくいんでしょうか」
「そうらしい、4番とちごたら辞めるというてる」
「むずかしいんですね」
「今年はあかんわ、グハハハハ」
と笑ってカーテンを引いた。
まもなく規則正しい鼾が聞こえてきた。

2009年9月13日日曜日

雨上がりの日曜日

昨日の雨とは打って変わっていい天気の日曜日。

同室の高齢の患者の家族が見舞いに来る。
「おじいちゃん、誕生日、おめでとう」
どうやら、今日が誕生日らしい。
聞くともなしに聞いていると、昭和8年生まれらしい。
父親と同じ生まれ年である。
見舞いの孫は、
「これから焼肉食べに行くねん、おじいちゃん」
と両親ともども去っていった。

昨日に続いて20日締めの資料の前倒し作業を進める。

週の初めに自転車通勤を勧めた男性看護師が検温と血圧測定。
自転車購入をまだ逡巡している。自分が購入したショップを教える。自転車通勤となればその看護師の通勤経路にショップはあることになるので何かと都合も良かろうと、スポーツバイクの専門店ではないけれど、いろいろ親切に相談に乗ってくれると思うと伝えた。

夕方3時からリハビリ。

平行棒を使ってと松葉杖を使っての引き続き1/2荷重の訓練。
エアロバイク30分。
エアロバイクにはCATEYE EC-1600と表示がある。
サイコンやライトだけではなくフィットネス商品も作っているというのを初めて知った。




リハビリから戻ると昭和8年生まれの患者が入り口のほうに向いてベッドに座っている。
目があって、軽く会釈をする。
「今日がお誕生日だそうですねえ、おめでとうございます」
「いやいや、もう年でね」
「昭和8年のお生まれなんですね。うちの親父と同じです。酉歳ですね」
「そうそう、酉年、おとうさんは?」
「ええ、去年、膵臓がんが見つかりましてね、予後3ヶ月といわれたんですけど、1年半もってます」
「そうかそうか、膵臓はむずかしいらしいからねえ、ご両親は大切にせんとあかんよ」
「はい、まあ、そんな時期に、こんな怪我をしてしまいまして」
「よけいに大事にしてあげなさいね、おかあさんは」
「はい元気にしております。11年生まれです」
「ほう、うちの家内といっしょやね、で、おたくはおいくつ?」
「50です」
「ほう、うちの長男も同じや、35年生まれ?」
「いえ、34年です」
「そうかそうか、いまは事務所を引き継がでやっとる。うちの親父はね103歳まで生きたんよ」
「103ですか、長寿だったんですね」
「ああ、元気やった、ご両親を大切にせなあかんよ、両親を大切にせえへんやつは入れへんね」
「はい、大切にします」
『入れへん』というのは採用しないということらしく、おそらく長男に引き継いだ事務所のことだと思われるがどんな種類の事務所経営なのかは不詳。

5時半に夕食を終えて、資料の点検。少し手直しをして、メールの添付ファイルにて送信。

病棟の外に出て半そででは少し肌寒く感じる屋外の空気に触れてきた。昨日の雨が季節を進めたらしい。

2009年9月12日土曜日

オークション?王選手のユニフォーム

シルバーウェークで金融機関が休みになるため20日締めの資料作成を急がなければならないが、あまり仕事がはかどらない。

リハビリ午前の部は10時からエアロバイク。30分。
戻ってきたら風呂。
風呂上りに昼食。
昼食の後、エアロバイクと風呂との心地よい疲労と満腹とはいかかいながら食事で満足した胃袋のおかげで寝入ってしう。
気がついたら、理学療法士が3時からのリハビリに迎えに来て目をさました。
1/2荷重の練習をヘルスメータを使って繰り返す。
目盛りを見ながら右足にかける体重を調整して歩く練習。
まだ目盛りを見ずに歩くことはできてない。
リハビリが終わってもどってきて、午前中の続きの作業を少し進める。

病室でパソコンに向かっていると、同室のもう一人のかなり年配の患者が声をかけてきた。
「株でもやったはりますのか?」
「いえ、会社の仕事で、、、使ってます」
「あそう、わしは昔、巨人の王選手のユニフォームを80万円で売ったことがあるわ」
「へえぇ、そうですか、王選手のユニフォームをねえ、80万、すごいですねえ」
「そや、王選手のロッカーから盗み出して、売り飛ばしたんや、グハハハハ」
脈略のよくわからない会話を少し交わす。

しばらくして夕食の時刻。

食事の後も少し作業を続ける。

今日は新しい患者の転入はなく、今夜は4人部屋に2人収容の病室。

2009年9月11日金曜日

1/2荷重解禁

今日は4人部屋の一人が午前中に退院。午後に新しく転室してくる人一人で入れ替わり。
明日は残りの2人が退院で、昨日から見ると自分以外は総入れ替えということになる。

レントゲン写真撮る。だいぶ骨もできてきているというリハビリ担当医の話。写真は見せてもらってない。

車椅子が取り上げられた。洗面台や風呂に行くときの荷物を持つ工夫をしないが、苦労してもできるだけ歩くほうが回復には良いと言われている。

3時からリハビリ。直前に会社から電話が入るが、リハビリの後回しにする。
マッサージと右足の筋トレ、松葉杖の歩行訓練。
エアロバイク30分。90回転/分で90ワットの出力。心拍数は140~150。
最後の1分間だけ120~130回転 /分で回してみる。特に異常は感じなかった。心拍数は165まで上がった。
エアロバイクを回している間、理学療法士はカンファレンスに参加。
エアロバイク30分経過と同時に戻ってきて、「1/2荷重の確認がとれました」とのこと。
ヘルスメーターを2つ並べて、それぞれに足を載せて、目盛りが均等になるように立つ。同じ荷重をかけていても右足の負担が強く感じるのはそれだけ立つための筋力が弱っているせいらしい。
明日からは松葉杖で右足1/2荷重での歩行訓練が始まる。

2009年9月10日木曜日

せめてシャワーを

今日のリハビリは夕方から。エアロバイクはちょっと短く20分。

リハビリが終わってから風呂に入る予定が、重度な介助の必要な入院患者の入浴と時間がぶつかり、風呂を使うことができなくなる。

洗面所で髪の毛を洗って、洗面器のお湯で濡らしたタオルで体を拭きとる。
エアロバイクでかいた汗はそれなりにふき取れてすっきりした。

これからは、エアロバイクは午前中に乗って、早い時間の風呂にも入れるように療法士さんにお願いした。
マッサージや筋トレはそれほど汗をかくわけではない。風呂に入ってからでもできるので、どの時間でもかまわないが、エアロバイクだけは終わってから風呂に入りたい。
風呂の無い日は、洗面所でシャンプーとタオル。
本当は毎日シャワーだけでもいいから使いたいところ。

2009年9月9日水曜日

看護師に自転車通勤を勧める

昨夜、消灯時間が過ぎてから、執刀医の先生が病室まで突然やって来た。当直だったのかもしれない。
怪我の回復具合について少し話をする。9月末で退院してもいいだろうという話。ただし、通院しながら右足の荷重を少しずつ増やしていく指導は続ける必要があるということで、元通りの日常に戻るにはもう少し時間がかかりそう。

今日は午後から30分サイクルマシンを漕ぐ。同じペースで漕いでても、3日前より心拍数は10ほど少なくなっている。心肺能力が少し改善したのかなと喜ぶ。

リハビリは楽しみながらできるようになってきている。体重のかけ方さえ間違わなければ痛みはもうほとんどない。

朝の検温と血圧測定は男性の看護師が担当だった。
自転車に詳しいそうですね、と話しかけられる。
どうやら、ナースステーションでも自転車好きが話題になってるもよう。
男性看護師は、いま、通勤は電車で1時間、または車でなら20分ということらしい。
場所を聞いてみると確かに電車だと遠回りをしないといけない場所になっている。
それで、自転車通勤を考えているけれども、その距離は自転車で通うのは可能かどうか、通うとしたらどんな自転車がいいのか、費用はどれくらいかかるのか、というふうな相談を受けた。
その距離なら、十分自転車通勤はできるので、ぜひどうぞ、と勧めておいた。

2009年9月8日火曜日

平穏な一日

東側の窓のカーテンを開けて寝たので、朝日とその熱気で目が覚める。

リハビリは午前中。
30分、サイクルマシンを漕いぐ。
汗だくになる。
松葉杖。階段の昇り降りの練習。

火木土が風呂の日で、今日は2時から風呂に入る。
サイクルマシンの汗を流してすっきり。

午後から会社に送る資料の作成。

景色が見えないで、同じ広さなの部屋なのに少し狭く感る。

2009年9月7日月曜日

転室

午後からのリハビリはまずサイクルマシンに30分間。

Cateyeのハートレートモニタをつけて漕いだ。心拍は140から150くらい。サイクルマシンの表示ではだいたい90W前後の出力表示。ケイデンス表示は80~90。息が荒くなることはなかった。

ちらちらと手首にはめたハートレイトモニタを見るので、理学療法士が興味を持って覗き込んできた。ワイヤレスで計測していることにずいぶん驚いていた。サイクルマシンの心拍計は耳たぶにつけるセンサーから有線で表示部につながっているけれど、150を超えるとワーニングのブザーがうるさいので使用せず。

汗びっしょりになった後、松葉杖で歩く練習。昨日と同じコースを歩いて、その後、階段の昇り降りの練習。登るときは左足から、降りるときは折れた右足から踏み出さないといけない。しっかり覚えて、階段の前では慌てずに、どちらの足から踏み出すのかを確認してから、初めの一歩を踏み出してくださいねと理学療法士からアドバイスを受ける。

病室に戻ってきたら、午前中に予告されていた部屋の移動。着替えやタオル等の荷物はベッドに載せてベッドごと移動。いままで居た部屋はナースステーションに近い場所だったが、病状が重く、見守りや介助が必要な患者さんが転棟してくるということなので、その部屋を明け渡して、ナースステーションからは一番遠い東側の部屋に移る事になった。

移動先でも窓際のベッドだというので、西日が当たらなくなってラッキーと思ってたが、東側はすぐ隣が住宅街になっているので、窓ガラスは擦りガラスで、外の景色は見えなくなってしまった。

西日が当たっても、景色の広がる、開放感のある部屋のほうが良かったかなと思う。

東側と西側では担当する看護師のチームの違うらしく、新しく担当になる看護師が挨拶に来てくれた。

新しい部屋のメンバーはみな若くて、自立歩行できる人ばかり。あまり、愛想はないけれど、気を使う必要のなさそう。

2009年9月6日日曜日

サイクルマシンで25分

日曜日もリハビリ。
週末は一時帰宅したり、日曜日はリハビリは休みたいという患者さんも多いらしく、日曜日の療法士は普段の半分の人数の出勤になるらしい。
平日のリハビリは午後の遅い時間から始まるのが常のところ、日曜日の今日は午前10時ごろからリハビリ訓練が始まる。
リハビリ室に行くと他の患者は誰もいず、貸しきり状態。
マッサージと足の運動、腹筋を鍛える運動をしてから、松葉杖で歩く練習。
建物の外に出て、駐車場から病院の正面玄関に向かう新しいルートを歩く。
暑かった。
リハビリ室に戻って、サイクルマシン。15分のタイマー設定で始める。15分漕いでかなり汗が出たが、人が少ないので、もう少しやりますかと療法士が言ってくれるのを幸いに、あと10分追加設定し、負荷も少しかけたペダルを回した。
合計25分のサイクルマシンで、上半身は汗びっしょり。本物の自転車と違って風がないから余計に汗が噴出す。
耳たぶに付けた心拍計センサーは、上限設定された150回/分を超えると広いリハビリ室全体に響き渡るような大きな音のブザーが鳴る。
後半の10分は負荷をかけたせいで、すぐに心拍が150を超えてしまうので、途中で耳たぶからセンサーを外した。

汗びっしょりになった25分で今日のメニューは終了。「水分補給をしっかりしてくださいね」と療法士に言われて戻って病室に戻ってきた。

部屋に戻って、上半身裸になって汗を拭く。

すぐに昼食の時間になり、昼食を済ませて、しばらく休憩したあと、松葉杖で外に出てみる。強い日差しの中、病院の周りを40分ほど散歩する。気温も高く、歩くだけの運動でも、またまた、汗が噴き出す。

病室に戻ってまた上半身裸になって汗を拭き、そのままベッドに横になる。
居眠りして、気がついたら4時になっていた。

久しぶりにたっぷりと汗をかいた一日になった。

2009年9月5日土曜日

牽制

午前中は新聞をほぼ通読。

午後からリハビリ、今日はサイクルマシンは10分だけ。
ちょっと物足りない。
理学療法士に牽制された。
「この施設はトレーニング用の施設ではなく、リハビリ用の施設なのであんまり長時間使ってもらうことができないんですよ」。

10分でもケイデンス100のペースで漕いだのでそこそこ汗は出た。

その後お風呂。

夕食。

土曜日、窓から見える車の混雑する道路を見てるとこんないい天気の日に病室にこもっていなければならないのが恨めしい。

2009年9月4日金曜日

眠い!

午前中は新聞読んで、会社からのメールでの問合せに返答する資料を作って送るのとで過ぎた。

昼ごはんを食べたあと、西向きの窓の日差しが強くなってきたのでカーテンを閉めてベッドで横になってたら居眠りしてしまった。

3時からのリハビリは、サイクルマシン、15分間に伸びた。少し抵抗負荷もつけてもらって15分漕いだら、汗びっしょりになった。理学療法士が途中で病室に行って、汗を拭くためのタオルを取ってきてくれた。
90回転を意識して回していると、理学療法士は早いですねと驚いている。ケイデンス90が一番効率的といわれてるらしいですと答える。「ケイデンス」という単語は理学療法の世界では歩数のことを言うそうだ。
その後、松葉杖の練習。
今日から、病棟内では松葉杖を使っても良いということになって、松葉杖の貸し出しを受けた。

6時前に夕食。
松葉杖でテーブルのところまで行こうとして気がついた。松葉杖で歩くときは両手がふさがっているので手で荷物がもてない。今まではプラスティックのトレーに箸とマグカップとスプーンを載せて、それを膝の上に置いてテーブルまで移動していた。
とりあえず左手で松葉杖を持ちながら、箸箱とマグカップを指の間に挟んでテーブルまでたどり着いた。
食後、箸とマグカップを洗いに行くのに、流しが混んでいたので一旦病室に戻って、何か工夫が無いかと思ってたところ、コンビニの買い物袋が目に付いたのでそれに箸とマグカップを入れて手首にぶら下げて洗い場に行く事にした。

人間歩くときって手ぶらで歩く場面は少ないかなあ、でも普段は両手が使えるからあまりそんなこと意識しないけど、でも、コンビニの袋を使うのを思いついたのは我ながらよっしゃと思っているうちにまた眠くなって居眠りしてた。

昼寝しても、夕食後居眠りをしても、夜寝られなくなるわけでもなく、このところとっても眠たい。
体が骨を作るのに睡眠を要求してるのかなと勝手に想像してる。ちがうかな?
寝る子は育つというし、、、

松葉杖より車椅子のほうがスピードは速いし、荷物もぶら下げるところがたくさんあるので車椅子が楽ではあるけれど、リハビリの意味もあるので明日からは、よほどのことが無い限り松葉杖で移動する事にする。
でもまだ、階段の上り下りの練習はしてないので、階段は使わないでくれと理学療法士に言われてる。

2009年9月2日水曜日

14歳のアンバランス

朝食の後、例の中学生に怪我をした経緯を聞いてみた。
バイクに乗っていて事故をしたというので、モトクロスか何かの競技中の事故かと聞いてみたらそうではなくて公道での事故だったらしい。やんちゃをしてたってことらしい。
大腿骨の骨が皮膚を突き破って外に飛び出すほどの怪我をしたそうで、全身血だらけで救急搬送されたらしい。
そういうやんちゃな面と、泣き虫の面とが、アンバランスに感じるけれど、そういうアンバランスな年齢なのかなとも思うし、自分の14歳の頃はもっと端的に生意気だったような気もするし。

そのあと中学生は今日は外出許可をとっていたらしく、迎えに来たちょっとこわそうなお父さんと出かけていった。
夜の9時になっても戻ってこないので、今日は外泊らしい。

今日はリハビリは午前中。
右足にも体重をかけて松葉杖で歩く練習と、サイクルマシン10分。
もう少し乗っていたかったけれど、理学療法士のストップがかかったので仕方なく終了。そういうコントロールのあるほうが良いのかとも思う。


昼食の後、午後、少しうとうとする。
日差しが射してきたのでカーテンを閉めたその後も続いて寝てしまい、気がついたら午後4時になってしまっていた。
特に寝不足だったというわけでもないけれど、熟睡してしまった。

夜、寝れるかどうか心配。

2009年9月1日火曜日

ちょっとだけサイクルマシン

昨日理学療法士にお願いをしたサイクルマシンに乗せてもらうことができた。
午後からのリハビリは2時からと4時からの2回に。
右足にかける体重を20kgにする練習を昨日に続いて何度も繰り返した。
だいぶ感覚がつかめてきた気がする。
4時からもヘルスメーターを使った荷重調整の練習。
そのあと10分間だけサイクルマシンに乗せてもらう。サドルを一番高い位置に設定してもらい、一番負荷の軽いべダルに調整してもらって10分間漕ぎ続ける。右足と左足のバランスが崩れてギクシャクするかと思ってたが、そんなこともなくスムーズにペダルを回転させることができた。
10分間でうっすら汗が滲んでくる程度の軽い運動。
久しぶりにペダルを漕いだのが嬉しくて、そういう表情をしてたらしく、理学療法士に「たのしそうですねえ」と冷やかされた。

昼前にコルセットを腰に巻きつけたお年寄りが部屋にやってきた。
これで入居者は3人。

昨日転室してきた中学生は午前中にリハビリに行って、それから帰ってきたらずるずると鼻水をすすっているので、風邪でもひいたのかと思っているところに、体格の大きなちょっと怖そうなお父さんが見舞いにやってきた。
泣いている息子に対して「どうしたんや、何で泣いてるんや」と何度も聞くが、聞けば聞くほど鼻水をすすってただけの泣き方が、ヒーヒーと息を吸い込む嗚咽に変わっていくので、もしや、昨日のゲーム機のことで注意したのが原因やろか、そういう理由をお父さんに告げ口したら、そのこわもてのお父さんの怒りの矛先がこちらに向かってきて、罵声を浴びせられ鉄拳制裁を加えられることになったらどうしようと恐怖の妄想が渦巻く中で、息を潜めて親子の対話を聞いていた。
どうやら、急性期病棟から回復期リハビリ病棟に転棟してきたことが原因らしいことが聞こえてくる。急性期病棟の看護婦や今までのリハビリ担当の理学療法士が優しかったのに比べて、回復期リハビリ病棟の看護師や新しい担当の理学療法士は不親切な感じがするらしく、急性期病棟に戻りたいという、そういう理由で泣いていたということらしく、こわもてのお父さんから「ここに来るのはもうすぐ退院できるからなんやで」と慰められていた。
罵声を浴びせられたり、鉄拳制裁を受ける恐怖の妄想から解放された。
いままで息を潜めて親子の会話を聞いていて、部屋から出るに出られなかったのが、ようやくトイレに行くことができた。ふー、助かった。

そんな月初めの一日。